* * *
細く長く息を吐き、ゆっくりと吸う。新鮮な空気を少しずつ肺に送り込み、体中に巡らせる。呼吸を荒げるようなことはしない、それはこの場においては致命的な隙につながると理解していた。
(さすが『最強』……)
噂には聞いていたけれども、その呼び声に偽りはなかったということか。目の前の男から視線を外さないが、そこにとらわれないよう同時に視野を広く持つ。
ラサラスの前に立つのは、壮年というよりは老年の域に達している男だった。灰混じりの白く長い髪を、結わずに背に流している。衿が高く裾を長く引く装束は、どこか今は遠い東方の地を思わせるものだった。浅黒い肌、厳めしく気難しそうな顔にはいくつかの傷跡が刻まれており、物言わぬ過去を物語っているようだ。
(来るッ……!)
これも何かの術だろうか、独特の足さばきで彼我の距離を一瞬で詰められる。男は徒手空拳なので間合いを外せばこちらの有利となるはずなのだが、男のほうもそれは先刻承知なのだろう。強烈な蹴りを後方に跳ね飛んで躱したものの、すかさず再度距離を詰められる。
加えて。
「くっ……!」
距離を取ったら取ったで、こちらが簡単に有利を取れるというわけではないのだ。なんとか蹴りの間合いから逃れたところで、ほっと一息つく間もなく、男が短く裂帛の気合を発した。僅かな間を置いて、ラサラスの足下から業火が一瞬で立ち上る。咄嗟に避けたおかげで直撃は免れたが、熱気の余波がちりりと肌を焦がした。
単純な力や速さでは、自分のほうがはるかに上回っている。あるいは、かつて刃を交えた帝国の男とか。あれはまさしく、力と速さとを極めればそれはシンプルに『強さ』だということを体現していたように思う。
だが、目の前の男の『強さ』は、それとはまた別種のものだ。
力と速さは、確実に自分の方が勝っている。それでも戦局が、隠し札ひとつで容易にひっくり返るような、脆く僅かな優勢にしかなっていないのは、ラサラス自身わかっていることだった。
足運び。間合いの取り方、外し方。攻撃を仕掛けるタイミング、防御時の受け方、避ける位置や方向など。細かな要素とその流れの組み立て方が、途方もなく『巧い』のだ。強さも速さももちろん常人以上ではあるだろうが、それでも男の強さの源はそこではない。
もとよりの素質はあるのだろうけれども。この年齢になるまで戦場に立ち続け生き残り続けた『経験』、その年月の重みそのものが、男の『強さ』の証明のようだった。
老練にして老獪。
「ッ……!」
ずるりと足元の地面が滑る。局地的な地脈の操作なのだろうか、濁流に押し流されるように一方的に動かされた先には――再びの、炎。
(クソジジイ……!)
敬老精神に欠ける罵倒が、思わず零れ落ちる。覚悟は一瞬だ。
立ち上る炎は脅威だけれども、その勢いは長くはない。唇をかみしめて覚悟を決めれば、耐えることは不可能ではない。軽くはないダメージを負ったが……それでもまだ、戦える。
そして、戦える以上、諦めるという選択肢は、自分にはなかった。