■Ginj Tulkhuur Player
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄RP歴:物心ついたころから
FF14RP歴:2016年10月から(はじめた時から/RPしないほうが難しい)
RPの基盤:RPG、TRPG、なりきり(ゲーム版権→オリジナル)
RP傾向:自分だけの物語を考える/世界観を楽しむ
■この記事について
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄一種の意思表示であり、一部の偏見と質問に対する答えであり、ただの疑問です。
「ロールプレイに興味はあるが、ロールプレイの世界は難しく奇妙で恐ろしい」とする人
「ロールプレイヤーであるがロールプレイの世界は奇妙だと言わざるをえない」とする人
「ロールプレイとはダメ人間の最後の逃げ場、自由の楽園だ」とする人などの意見を踏まえ
2016年から2021年にかけて"エオルゼアのロールプレイに限って"考えてきた結果になります。
個人的には「プレイヤーでしか話せないような大真面目な記事」は心底超絶滅茶苦茶
書きたくないのですが、どうあがいてもギンジュに話させるのは無理だと悟りました。
■この記事における定義
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「プレイヤー」 … 現実のひと。PL。
「ロールプレイ」 … 立場を演じること。RP。
「なりきり」 … 人格(キャラクター)を演じること。キャラロール。
RPの一種。「ロールプレイヤー」…なりきり、またはRPを行うひと。
「戦い」 … 苦難に立ち向かうこと。
例:
「俺はタンク!敵をひきつけるぞ!」←RP
「俺はタンク!義に厚い熱血漢!」←なりきり
「私は冒険者!エオルゼア楽しみ!」←RP
「私は冒険者!明るくて少しドジ!」←なりきり
「我は社会人!だがここはエオルゼア!我は冒険者!
童心に帰る自由な異世界冒険譚のはじまりだァーッ!」←現実
「僕は高校生!だけどここはエオルゼア!僕は冒険者!
秘められた力を解き放つ大冒険のはじまりだァーッ!」←現実
より詳細なことは以下に記しますが読まなくても大丈夫です。
「ロールプレイ・なりきりとは何だ?」/
ロールプレイのスタイル■第一章 「ロールプレイ」は嫌われ者の最後の砦か?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ロールプレイに限った話ではない、と前提を置くならばYES。
ロールプレイだけがそうだ、とするならばNO。そもそも嫌われ者というのは、どこにでもいます。
嫌われるべくして嫌われたヒトもいれば、たまたま運と相性の悪い場所に生まれ育ち
どうしようもなくて好かれる場所を求めて放浪しているヒトというのもいます。
■エオルゼアで誰も彼もに嫌われたヒトは「ロールプレイ」をするのか?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄可能性としてはゼロではありません。
ゼロではないとは、ゼロではないだけです。絶対そうでもありません。
かつて、挙動不審なロールプレイヤーが近づいてきたので調べたところ、
ロドスト日記を全削除してから、ロールプレイをはじめていました。
対人で大きな問題を経験し、抱え、ロールプレイの世界に駆け込んできたのです。
(残念ながら自分は心理カウンセラーではないので対応は打ち切りました)
また、自分がロールプレイについて語りだした4~5年前には、
「現実と違ってロールプレイの世界は何でも受け入れてくれるのだから
恐れずに飛び込んで振る舞えということですか?」というような、
ロールプレイを逃げ場と断定した質問コメントが度々寄せられました。これらのコメントは、「いいえ。例えば現実でも空想をして遊んだりしませんか?」
「自分のお気に入りのオモチャを持ち寄って、みんなで遊びませんでしたか?」
というような現実に根ざした話をしたところ、ほとんど消えていきました。
自分にとってロールプレイは逃げ場でもなんでもなく、遊び方の一つです。■逃げ場はどこにでもあり、逃げ場を求めているヒトもどこにでもいる
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄現在、世界は逃げ場を求めています。
誰かと手を繋ぐのも、抱き合うのも、並んで歩くのも、お店で食事をするのも、
海で泳ぐのも、ピクニックに出かけるのも、今は何をするにも制限がついています。
不満・不安・苦しみを解消するための逃げ場は、ヒトなら必ず求めるものです。
遊びとは逃げ場の一種です。逃げるために遊ぶことが悪いのではありません。
遊び続けて、逃げ続けて、何も解決しないことが悪い(問題になる)のです。エオルゼアで存分に遊び、存分に逃げ、新しい武器(考え・特技)を手に入れ、
現実に打ち勝ってエオルゼアに凱旋してくる人を自分は少なくない数見てきました。
現実に国(居場所)を作り上げ、その発展と維持に尽力するようになった人もいます。
エオルゼア自体、現実に打ち勝ちながら作っている人がいる世界です。
今も昔も、現実に打ち勝つための逃避をする人たちは当たり前にいます。
いつが決戦の時かはそのヒトにしか分からないと思いますが、「逃避は悪ではない」
「逃避し続けて戦いを忘れるのが悪である」ということはお伝えしたいと思います。
あくまでも自分の考えですから、賛同できなくても大丈夫です。
自分の考えをもつことは悪ではありません。むしろ、良いことだと自分は思います。■第二章 最後の砦を守ろうとするロールプレイヤー
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄「ロールプレイ」は嫌われ者の最後の砦か? について
(ロールプレイに限った話でもないが、可能性はゼロではないので)YES、としました。
ロールプレイを最後の砦としたプレイヤーは、ほぼ間違いなく、砦を守ろうとします。
ロールプレイがなくなったら、自分は死ぬしかない――大げさに聞こえますが、
そのくらいの必死さでロールプレイの世界にしがみついているプレイヤーはいます。■コラム:自分とロールプレイ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄時と場所と程度は選ぶ(協調性は忘れない)前提としてお話をします。
「最後の砦」とはまた違いますが自分もロールプレイは守りたいです。
もしある日突然、ロールプレイは禁止だ、とされたら、
ゲームの楽しさが4%まで激減し、30%くらい死ぬしかないと思います。
ゲームとRPを切り離せない自分にとって、「RPをするな」とは、
「どんなにゲームが面白くてもゲームに興味を持つな」と同じです。
自分は他人(架空のキャラクター込)に先に興味を持つことが少ないので、
『"光の戦士"はどうなるんだろう!?』とワクワクすることができません。
『"ギンジュ"はどうなるんだろう!?』とワクワクすることはできます。
そして、ギンジュに対するワクワクを基に他人はどうかとワクワクできます。
ワクワクがゲシュタルト崩壊してきましたが、まず自分事として楽しみ、
次に他人の楽しみも受け入れるのが自分なりのゲームの遊び方なのです。自分がワクワクするために必須のRPをやめることはできません。
ワクワクして遊ぶためにRPGというジャンルは生まれたのですから。
■「ロールプレイ」で何を得ようとしているか?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄少し話が逸れましたが、大事なのは「人は何かを守ろうとする」ということです。
「守ろうとしているものが奇妙であるほど、他人には奇妙に見える」とも言えます。
もっとも何を理由に奇妙とするかは個人差があります。「自分に必要のないものを必要としているヒト」を、ヒトは得てして奇妙と扱いがちです。
「自分と他人が違う価値観を持っていることは奇妙ではない」と頭で分かっていたとしても、
「自分と他人が違う価値観で動いていることは奇妙だ」と判断してしまうものなのです。
ヒトの不思議な考えのことはさておいて、「ロールプレイ」を最後の砦とするヒトは、
ロールプレイで何を得て、何を守ろうとしているのでしょうか。
もちろん、ヒトによります。しかしそれは究極、「自分自身」と言い換えられます。
・ルールを守って楽しく遊ぶために、ルールをとにかく守らなければならない
・正しい世界観を知り、正しい世界観を使い、正しいキャラクターを動かしたい
・奇妙で難しい世界を制し、トップに立つことで俺私には価値が生まれる
そういった考えで生きているヒトは、他の……ロールプレイ以外の世界でも、
そうして生きていて、うまくいかなかったのでしょう。問題はそこです。■最終章 人の遊びには人の問題がつきまとう
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄・ルールを守って楽しく遊ぶために、ルールをとにかく守らなければならない
→ ルールばかりを気にして、楽しく遊ぶことを忘れていませんか?
・正しい世界観を知り、正しい世界観を使い、正しいキャラクターを動かしたい
→ 誰かに正しいと評価されていないと不安で仕方ないのではありませんか?
・奇妙で難しい世界を制し、トップに立つことで俺私には価値が生まれる
→ 競争に興味がなく、横並びで楽しく過ごす人もいるのを知っていますか?総じて「別のことを優先していませんか(他に大事なことがありませんか)?」です。どこまで逃げても、課題はヒトを追いかけてきます。
課題の答えがどこかにあるかもしれないと駆けずり回るのは大事なコトです。
よくあることです。しかし、課題が何か分からないままでは答えもありません。
探しているのが課題なのか答えなのか、そこから明らかにする必要があります。
そして、「ロールプレイ」は万能薬でも駆け込み寺でもないのです。関係あるかもしれないギンジュの記事
「苦しむのが正しい教」について「他人を気にする」ということについて〆
2022/05/08 必要だと思ったので過去ログから復帰
2021/09/13 初稿