第二話 逃避
第七星暦 元年 西ラノシア エールポートの旅宿
「では師匠は私の父をご存知だったんですね」
グ・エンベルト・ティアに師匠と呼ばれた男、『シ・ルン・ティア』は
昔を思い出す様に目を閉じると語り始めた。
「ああ、お父上どころかお前にも会った事があるぞ、あれは、俺がまだ今のお前と同じ位の歳の頃だったなぁ。
アラミゴ革命軍『紅の疾風』の一員として狂王テオドリックを倒す為にギラバニア中を走り回っていたんだ。
お前のお父上グ・ロレンツォ・ヌンさんは人としても男としても族長としてもそれは立派な人だった、俺も何度助けられたかわからない、王を倒した後の帝国の侵攻にも解放軍として一緒に戦ったが、ギラバニアのグ族は族長であるお父上を始め全員粛清されたと思っていた。
お前があの時の子供とはなぁ、人の縁とはわからん物だなぁ」
第六星暦 1557年 ギラバニア
シ・ルン・ティアはミコッテ族の野営地で、二人の族長とその一族と焚火を囲んでいる
二人の族長グ・ロレンツォ・ヌンとワ・ダン・ヌンはシ・ルンの父親ほどの年齢で
ワ・ダンの第一夫人ワ・エンマ・フェデリーはグ・ロレンツォの妹、グ・ロレンツォの第一夫人グ・ソフィア・ルカはワ・ダンの姉である
元々縄張りが隣接するこの二部族は何世代にも渡って抗争状態だったのだが、ロレンツォとダンが偶然
二人で協力して超大物のガガナを仕留めて以来交友が始まり、当時の領主エンベルト・ストラティゴス大公の仲介でそれぞれが姉妹を妻とする事になって以後は友好部族として縄張り周辺の治安維持や狩りに協力して当たっている。そして、シ・ルンの説得により、この二つの部族は「アラミゴ革命軍」の有力な一員となっていた。
焚火の周りには二人の族長の他、ルンの親友のダンの嫡男ワ・ダニー・ティア、ルンの右隣にはその妹アウローラ、ルンの左隣はロレンツォの娘グレータ、そしてロレンツォの嫡子で三歳になったばかりのエンベルトが座っている。
エンベルトの名は勿論、領主『エンベルト大公』から貰った物だった。
エンベルトの首には二歳の誕生日にルンがお守り替わりにプレゼントした赤いクリスタルのネックレスが輝いている。赤魔道士の『ソウルクリスタル』のかけらから作られた物だ。
そして、エンベルトの後ろには子グリフィンのグリアが当然、と言った顔で佇んでいる。
エンベルトと一緒に育ち、ペットと言うよりは兄弟の様な関係で有る。
「いよいよだな」ロレンツォがルンに話しかけた
「はい、長い戦いでしたが、やっとテオドリックを排除できそうです、既に王都アラミゴの親衛隊の1/3以上、豪商や貴族達の私兵達もこちらに味方する事になりました」
「そうか、しかしその後が大変だな、せめて星導教の僧達が生きていてくれたらなぁ、いまさら、詮無い事だが」
「全くです、御二方には、今まで以上に働いていただかないといけませんね」
「おいおい、俺たちは唯の猟師だぞ、政治は苦手だ」
ダンはそう言うとルンに笑いかけた
「それにしてもシ・ルンよ、良い男になったな、あと数年もすれば立派なヌンになれるぞ
どうだ、俺の娘を何人か貰ってくれないか?」
「待て待て、俺の娘の方が先だ」
「ご冗談を・・・(いやこれは冗談では無いかもしれない)」
ルンの両隣の娘たちは二人ともルンが身に付けている『紅の疾風』の制服の様に顔を赤くした。
酒と料理を持って来た、ロレンツォとダンの第一夫人達もそれに同意して
「良い考えね、どっちが先なんて言わないで纏めて何人か貰っていただければ、私達の仕事も楽になるわ」
と声を揃えた。
ミコッテ サンシーカー族は族長とその複数の妻達、その子達からなる部族集団で生活している。
ロレンツォもダンも十人以上の妻がおり、それぞれに何人か子供がいる
だがミコッテ族は男子が生まれる確率が低く、ダンの様に三人の男子に恵まれた者はまれである。嫡男はダンの補佐をし、次男ワ・マルコは革命軍の一員として王都に居る、三男ワ・セラはエンベルト大公に勉学の才に恵まれていると見込まれてグリダニアで幻術士の修行をして、今では妻も娶りヌンとして独立をしている。
一方のロレンツォは男子に恵まれなかったが、三年前に一番若い妻レナがやっと嫡男のエンベルトを産んだのだった。
「俺の子供は娘ばかりだったからなぁ、20人から先は数えるのをやめたよ、そんな中でやっと生まれた男の子だからな、逞しく育って欲しいと思っているが、この歳になると子供に猟を教えるのも大変だ」
と良くぼやいていた。
サンシーカー族の娘達は配偶者を見つけるのが困難である。元々男子が少ない上、普段は狩や雑事に忙しく、適齢の相手と出会う機会が少ない、そして将来ヌンになれる様な資質がある若者は更に少ない、しかも族長たる父親の目に叶うと言う大きな障壁がある。
族長の第一夫人として、娘達の嫁ぎ先を探すのも妻としての責務で、西に妻を求めるヌンが居れば娘を伴い訪問し、東に将来有望なティアが居れば、将来を見据えて家族ぐるみの付き合いをするなど、配偶者探しに多忙な夫人達からしてみれば、夫達からも評価されているシ・ルンは非常に有望な候補であり、東方の諺にある『ネギを背負った鴨」状態なのである。
「(不味い、話題を変えないと・・・)」
そう思ったルンは立ち上がるとエンベルトに向かって
「お兄さんが面白い物を見せてあげよう」
と言うと、少し離れた人気の無い所にヴァルサンダーを放って見せた
そしてヴァルストーン、ヴァルファイアと魔法技を続ける
もちろん、威力は最小限に抑えている。
「わぁ・・・オジさん凄い!!」
「おい、お兄さんと言わないともう見せてやらないぞ」
「うん、お兄ちゃん!」
一同が笑いに包まれた
「(良かった、これで話題が・・・)」
「良くわからんが相変わらず見事な技だな、これはますます娘を貰って貰わんといけないな」
ダンとロレンツォが声を揃えた
「(う、ダメか)」
また話題が元に戻りそうになった。
それから数日後、革命は成功王都アラミゴは陥落し、テオドリックも死亡した。
これでアラミゴに平穏が訪れる筈であったが、時を同じくして、一部の貴族や豪商達の手引きにより『ガレマール帝国軍』が王都に侵攻、アラミゴは占領下に置かれた。
シ・ルン・ティアの属する紅の疾風も盟友ランバートが帝国に寝返った事により壊滅。
帝国軍との市街戦でダンの次男ワ・マルコは戦死、王都の革命軍は全滅してしまう。
この後、残存のアラミゴ革命軍は今度は『アラミゴ解放軍』としてガレマール帝国と戦う事になる。
それはグ・ロレンツォ・ヌン率いるグ族、ワ・ダン・ヌンのワ族も同様だった。
帝国との激戦の中、グ族とワ族やジャ族の混成弓兵部隊を率いていたワ・ダニーはルンの目の前で、帝国の魔導兵器の攻撃により戦死、部隊も壊滅してしまう。
その中にはルンに好意を寄せてくれていたアウローラとグレータも含まれていた。
生存者を纏めて辛うじて野営地に戻ったルンが見たのは帝国の別働隊に襲われて全滅した
二人の族長以下、両部族の亡骸だった。
「なんて事だ、俺はどうすれば・・・そうだ、とりあえず皆を一時安全な国外に避難させないと、ここからなら、ベロジナ川を渡れれば黒衣の森までは近い。」
シ・ルン・ティアは最後の気力を振り絞って東部森林の国境地帯に向かって歩き出した。
「と、ここまでが俺の記憶に有るお前の一族との話だ。しかし、お前はあの時どうやって生き延びたんだ?」
「私はまだ三歳になったばかりでしたから、そんなに詳しく覚えている訳では無いのですが、母から聞いた話ですが・・・」
今度はグ・エンベルトが自分の事を語り始めた。
第六星暦 1557年、ギラバニア辺境地帯 帝国軍と交戦の数日前。
「ロレンツォよ、どうも形勢は悪そうだ」
「そうだな、だが俺は死んでも縄張りからは離れんぞ、しかし戦えない女子供を何処かに落ち延させる事は考えた方が良さそうだな」
二人の族長は野営地の焚火の前で話しこんでいる。
ロレンツォの姉でダンの妻「ソフィア」が口を挟んだ
「私は一緒に戦いますよ、足手纏いでしょうけど、今さら他の場所にはいけません」
「姉さん・・・」
「私も同じ考えです」
ダンの妹でロレンツォの妻「エンマ」も同じ意見の様だ。
「お前もか」
「でも、エンベルトや娘達を逃すのは賛成です、まだ弓を満足に使えない十歳以下の娘達を
どこかに逃がせる事ができれば・・・」
「そうね、あなたグリダニアのセラの所へ行かせるのはどうかしら?、ここからならそんなに遠くも無いいし?」
「ああ、それは良い考えだが、問題は誰が子供達を率いて行くかだ、俺はお前に頼もうと思っていたんだがな」ダンが答えた。
「それなら、エンベルトの母親レナが適任ね、私たちの中では一番若いし、槍の腕も悪く無いわ、ただ本人が納得すればだけど」
「ああ、それは俺の仕事だな」
ロレンツォは一同を見渡すと、皆頷いた。
どうやら最後の夜をレナと過ごす事になりそうだ。
翌朝、レナは二部族の子供達九人を率いて野営地を後にした。
エンベルトの他に、継娘の十歳のニコレと九歳のエレナ八歳のマリア、継義姪の十歳のエリーザ、ミア九歳のメリッサ八歳のアーデレ、セレーナだ。
食糧や飲料水は念の為に三日分ほど持った、平時では女子供の足でも一日程の距離だが
今は、街道の警備をする者も無く、途中には暴徒、流民化した難民や野盗が居て、猛獣や魔物の生息している地域を抜ける事になる。
レナはジャ族の出身で一族の者の多くはアラギリに住んでいる。
狩に便利な弓使いが多いサンシーカーの中では珍しく槍術に長けている
これは、以前はグリダニアで鬼哭隊の槍術士だった父親の教えの為だ。
子供達も年長の者は一応武器として弓を持ってはいるが、狩や実戦の経験は無く
いざと言う時には全くあてにできなかった。
野営地を出ると、西に向かいベロジナ川の中流にかかる『迷悟橋』を目指す。
「おい、橋が帝国軍に封鎖されているそうだぞ」
レナの一行の周囲には他の難民達もいる、そんな中で噂なのか事実なのかわからないが
そう言う話が聞こえて来た。
そうなると下流のベロジナ大橋へ向かうか、上流の滝の上、比較的流れが緩やかな辺りを渡河する以外、西岸に行く術は無い。
レナは山道を北上して滝の上流を渡河する道を選んだ。
「いやぁ!!」
エンベルトの手を引いて、先頭を歩いたいたレナは悲鳴を聞いて後ろを振り返った
最後尾を並んで歩いていたニコレとエリーザの姿が無い、弓を手にしたエレナとミアが座り込んでいる
「何が有ったの?」
エレナが指差した方を見ると三人の男がニコレとエリーザを抱えて走り去るのが見えた。
レナは弓は得意では無いが、子供達よりはマシだと思い、エレナから弓矢を受け取ると
逃げる男の一人を狙って矢を放った。
男が倒れる、だが他の二人はそのまま足を止めずに走り去った。
「ああ、なんて事に・・・助けられなくて御免なさい」
今から子供達を連れて走って追いかけるのは不可能だった、レナは心の中で詫びた。
容姿に恵まれたミコッテ族の少女は高値で売れる、アラギリ出身のレナはその事を良く知っていた。
アラギリには娼館があり、そこに売られて来る不幸な少女の事は子供の頃から聞かされている話だったからだ。
どこかで女子供・・・子供はエンベルトを除いて全員女の子だ・・・だけの一行だと気付かれて
人目が無い所まで、後をつけてきた野盗だったのだろう、気がつかなかったレナの失態だった。
「みんな顔に泥を塗って、髪をボサボサにしてなるべく汚い格好をして、それから弓は常に使える様に準備して」
レナはそう指図すると、またベロジナ川上流に向かって歩き始めた。
だが悲劇はこれだけでは無かった、途中で今度は複数のレッサー・ガガナに追われ、エンベルトとマリア、アーデレ、セレーナが残った以外は離れ離れになってしまったのだった。
「私達このまま皆んな死んじゃうのかな?野営地に帰りたい」
と泣く義娘達を叱咤しながら歩き続けるが、レナもそう思い始め絶望しかけた時、前方に人混みが見えた。
どうやら先行している難民達の様だが、何故か皆んな川岸で座り込んでいる
「どうしたんですか?」
「ああ、山の方で豪雨が有ったらしくてな、水嵩が増えて渡れないんだよ、しかもほれ」
その難民が指差した川の中洲にはベロジナ・サルコスクスの大群が居る。
ここを渡河しなければ、西岸に渡る事はできない、水嵩が低ければ少し上流のベロジナ・サルコスクスの少ない所を渡れるがこの水量では無理だった。
ただ夜行性なので昼間は日向で昼寝をしている事も多い、今日はこのまま川岸でキャンプをして明日の朝になったら渡れるか考えた方が良さそうだ。
しかし、この状態でまた野盗や人買いに襲われたらひとたまりも無い、子供達は寝かせてもレナは寝るわけには行かなかった。
とりあえず焚火の用意をして、食事は固いパンだけを皆んなで固まって食べて、夜明けを待つ事にした。
「お母さん、もっと食べたいよ」そう言うエンベルトに
「ごめんね、今は少し我慢してね」と言う事しかできなかった。
翌朝、少し水嵩が引いたのを見て難民達はそれぞれに渡河を始めた。
レナ達も全員で手を繋いで川に入る。
「ああ、お婆ちゃん!」
少し上流を渡ろうとしていた家族連れの老婆が足を滑らせて、こちらに流れて来るのが見えた
「皆、手をしっかり繋いで、離さないで」
老婆はレナ達の列に流れて来ると、最後尾のアーデレを引き摺る様に倒すと、一緒に更に下流で数人を巻き込みながら流されていく。
「エンベルト!!」
レナも引っ張られエンベルトの手を離してしまった、エンベルトも下流に流されて行く。
上空からまるで獲物を捕える様に一匹の子グリフィンが急降下をするとエンベルトをその前足で掴むと
対岸へ運んで行った。
「エンベルト!!」
やっと渡河し終わったレナがエンベルトの側に駆け寄ると子グリフィンは得意そうに一声鳴いた。
「お前は、グリアなの?、ねぇアーデレも探して来て」
グリアはレナにそう言われてもキョトンとしているだけだった。
しかしエンベルトが
「グリア、ありがとう、アデーレ姉ちゃんも探して」
と言うと、また短く鳴いて下流に向かって飛んで行った。
しばらくして帰って来たグリアはアーデレの物だったバックパックだけを持ち帰って来た
「ここまで来たのに・・・」
レナはもう涙は出なくなっていた。
「グリアありがとう、でもここから先は貴方を連れては行けないのよ、帰りなさい」
またグリアはキョトンとしている。
エンベルトはグリアの体からハーネスを外すと、
「グリア、しばらくバイバイね、僕また帰って来るから」
それを聞いたグリアは悲しそうな顔をすると(レナにはそう見えた)
飛び上がり、上空を二回りほどすると、東に向かって飛び去った。
「皆、頑張って、この丘を登ると黒衣の森よ」
子供達と言うよりは自分を励ます様に、レナは声を出した。
この当時グリダニアとギラバニアの国境付近には「ホウソーン家の山塞』があり
平時には狩に来る猟師や交易の商人達が一休みできる場所になっていた。
レナ達の次の目標地で有る。
山塞に近づくとまた難民達の集団が前方に居る。
「え、そこに行けば良いの?」
森に入ってからエンベルトがずっと誰かと話している
「エンベルト、さっきから誰と喋っているの?」
姉のマリアに聞かれたエンベルトは
「お友達だよ、これから一緒に遊んでくれるって」
「無理もないわ、この二日間満足に食事もできず、姉達も行方不明になって、エンベルトなりにショックを受けているんだろうなぁ」とレナは思った、子供が空想の友達と会話をするのは良く有る事だからだ。
「避難民の方は右側に並んで下さい、グリダニア市民やその関係者は左側です」
病気や怪我をしている方は警備隊まで申告してください」
グリダニアの国境警備の神勇隊兵士が難民達に声を掛けている。