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Molulu Molu

Survivor of the Song

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週刊もるる 0157

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 (前号の続き)
 
 それからなおも発展をつづけて十六世紀はじめころまでに至ったものと推察されているから、その完成

 には大約一千年ほどを要したのである。
 
 -「アラビアン・ナイト」1巻 (訳:前嶋信次)まえがき より
  (平凡社 東洋文庫) 

 古い写本としては、「ガラン写本」の他に16世紀の成立といわれる「トルコ写本」(注13)、「チュー

 ビンゲン写本」、「マンチェスター写本」、17世紀後半の成立とされる「マイエ写本」(注14)などが

 あって、それぞれ内容や話の順序などが異なっている。ガラン版刊行以降の写本としては、エジプト由

 来で18世紀の「マカン写本」(原本は現在行方不明)、写本研究者ゾータンベールが収集して分類した

 「エジプト系写本」(ZER)(注15)、やはりエジプト由来で19世紀の「ラインハルト写本」がある。

 古い写本でも、10世後半にシーア派(イスマーイール派)(注16)のファーティマ朝(注17)で建設し

 たカイロ(注18)が出てくる物語が少なからずあり、新しい写本になれば、アメリカ大陸原産のタバコ

 の描写がある物語を収めたものもある。一方で、やはりアメリカ大陸起源の伝染病である梅毒の描写が

 ある物語はいずれにも見当たらないため、どんなに新しい物語でも、下限は16世紀前半と考えられてい

 る。また、シェヘラザードとシャフリヤール王の物語の結末も数通りある(注19)が、「トルコ写本」

 を除いた古い写本では、写本自体が断片的ということもあって結末の物語はない。これら枠物語の結末

 は、全てヨーロッパ人の創作であるとする説もある。このように、写本の発見や内容の追加がヨーロッ

 パ文化圏とイスラム文化圏との間でキャッチボールのようにして行われながら、いろいろな写本の内容

 を取り入れた多様な刊本が形作られてきた。そのため、どこまでが「千夜一夜物語」の範囲なのか、9

 世紀に「千の物語」の翻訳を元にして成立したアラビア語の原「千夜一夜物語」の範囲はどこまでだっ

 たのか、そして、「千の物語」にまで由来を遡れるのはどの物語なのか、これといった典拠となる文献

 も遺物はほぼないに等しく、混沌としている。要するに、これが「千夜一夜物語」である、という底本

 は存在しないのである。

 アラビア語刊本には、主なもので「カルカッタ第一版」、「ブレスラウ版」、「ブーラーク版」、「カ

 ルカッタ第二版」、「マフディー版」がある。ほぼ「ガラン写本」に依拠している「マフディー版」と

 「カルカッタ第一版」を除いては、ヨーロッパで整理された写本を寄せ集めたもので、特に「カルカッ

 タ第二版」は現在行方不明の「マカン写本」を主体にしたもので、最も多くの写本を参照して編纂され

 たものと言われている。最新の「マフディー版」は、フランス国立図書館にある「ガラン写本」の原本

 をムフシン・マフディー(注20)が校訂して1984年に発表したもので、10世紀頃の元々の「千夜一夜

 物語」の姿に最も近いと評価されている。

 日本語で読める「千夜一夜物語」は、子供向けから大人向けまで、かなりの数にのぼる。そのほとんど

 はヨーロッパ圏で刊行された本からの重訳もしくは編訳である。最も新しいものは岩波書店から刊行さ

 れた「ガラン版 千夜一夜物語」全6巻である。フランス語からの翻訳であるが、元の写本の内容や最近

 の研究成果を取り入れて注釈等施しているとのことである。「ガラン版」は、その刊行後にヨーロッパ

 で盛んになったオリエンタリズムの影響をほとんど受けていないので、「千夜一夜物語」本来の「アラ

 ビアの古典文学」として読める本であろう。同じ岩波書店の岩波文庫「完訳千夜一夜物語」は、フラン

 ス語の「マルドリュス版」からの重訳である。刊行時の当代一流のフランス文学者の面々が翻訳した本

 であり、日本語でも名文として名高い。しかし、1899年から1904年にかけて刊行された原著は、特定

 の刊本や写本に拠らず、編訳者マルドリュス(注21)が「ブーラーク版」を軸に様々なアラビア語写本

 からテキストを独自に取捨選択して大幅に加筆した上で再編したものであり、逐次訳をうたってはいる

 ものの、実際には「アラビアの古典文学」というより「フランス文学」と言えるものであることに留意

 すべきであろう。また、19世紀ヨーロッパのオリエンタリズムと中東観を強く反映している点について

 は、次に述べる「バートン版」と同様である。英語訳である「バートン版」からの重訳は、ちくま文庫

 から刊行されている。原著は1885年から1888年にかけて本編10巻補遺6巻で刊行された。「カルカッ

 タ第二版」を底本にして、「カルカッタ第一版」や「ブーラーク版」などの複数のアラビア語刊本を参

 照しながら、編訳者バートン(注22)が手を加えて詳細な訳注(特に性風俗について)を付け加えたも

 のである。数多い刊本の中でも、収録している物語数が最も多いことで知られる。「マルドリュス版」

 や「バートン版」のようなオリエンタリズムの色濃い刊本の編訳の経緯には、19世紀のヨーロッパ圏と

 イスラム圏の国際的な関係が反映されていることにも留意しておく必要があろう。日本語で唯一のまと

 まったアラビア語からの翻訳は、「カルカッタ第二版」を主なテキストとしている東洋文庫版である。

 訳者の前嶋信次は、必要に応じて「ブーラーク版」も参照したと述べている。底本である「カルカッタ

 第二版」はアラビア語ではあるが、1839年から1842年にかけて、「マカン写本」を軸にヨーロッパや

 中東地域に散在する複数の写本を集めてヨーロッパ人が編纂したものである。

 いずれにしろ、現在の「千夜一夜物語」のイメージは、ヨーロッパ人のオリエンタリズムに負うところ

 が大きい。その一方で、10世紀から15世紀くらいまでのイスラム圏の人々の生活や風俗を知るという

 点では、第一級の資料としての価値を持ち合わせている。

 (注13)アナトリア中部の古都カイセリ(古代カッパドキア王国の首都で、古くは「マガサ」と呼ばれた。カイセリの名は
     1世紀にローマのティベリウス帝が名付けた「カイサリア」に由来する)に伝わったため、「トルコ写本」または
     「カイセリ写本」と呼ばれている。枠物語の結末が書かれている写本としては、最も古い。
 (注14)1702年にフランスのエジプト総領事ベノワ・ド・マイエが購入した。エジプト系の写本では最も古い。
 (注15)Zotenberg Egyptian Recension 「ゾーンベールのエジプト系写本校閲本」の頭文字を取ったもの。
 (注16)イスマーイール派はシーア派の少数派で、広義の7イマーム派の一つ。第7代カリフを、第6代イマームのジャア
     ファル・サアディクより先に没したジャアファルの長男であるイスマーイール・イブン・ジャアファルとし、その
     子孫をイマームとする(狭義の7イマーム派はイマームをイスマーイールまでの7人しか認めない。かつては原イ
     スマーイール派[イスマーイールのイマーム位を主張した一派]の多数派であったが、11世紀後半には勢力を失っ
     て消滅した)。その後は、誰を「隠れイマーム」(ガイバ: 世界の終末に現れる救世主=マフディー)とするかで、
     いくつかの分派を形成した。11~12世紀に「暗殺教団」として知られたニザール派もその一つである。
 (注17)ファーティマ朝は、北アフリカのイスマーイール派指導者ウバイドゥッラーが、909年にチュニジアで立てた王朝
     である。ウバイドゥッラーは、自身をイスマーイール派第7代イマームのイスマーイールの子孫で、イマームかつ
     マフディー(救世主)であるとし、スンニ派のアッバース朝、後ウマイヤ朝のカリフに対抗して、カリフを称した
     (在位: 909年~934年「3カリフの時代」)。ファーティマ朝の名称は、第4代正統カリフで初代イマームのアリ
     ー・イブン・アリー・ターリブの妻、預言者ムハンマドの娘であるファーティマに由来する。アリー自身、ムハン
     マドの従兄弟であり、かつ養子であった。シーア派では、このムハンマドの直接の血筋であるアリー家の末裔のみ
     が、イマームたり得るとしている。
 (注18)カイロ(英語名)は、アラビア語でアル・カーヒラ(「勝利の町」)、現代のアラブ世界最大の都市である。ほぼ
     ナイルデルタの起点(南端)に位置し、近くにギーザのピラミッド群と古代都市メンフィスの遺跡がある。ナイル
     川右岸のオールド・カイロにあるバビロン城(ローマ帝国の軍団が常駐していた)の遺跡やキリスト教(コプト教
     会)の建物などの他は、イスラム以前の痕跡はほとんど見つかっていない。643年にイスラム勢力が築いた軍営都市
     フスタートもオールド・カイロにあり、ファーティマ朝以前にいくつかの王朝の首都となった。現代につながるカ
     イロは、969年のファーティマ朝によるエジプト征服の後、フスタートのすこし北に王宮都市として建設された町が
     始まりである。
 (注19)シェヘラザードとシャフリヤール王の結末については、つまるところ「王は前非を悔いて、二人は幸せに暮らしま
     した」というところなのであるが、二人の間に子供ができている版といない版、シェヘラザードが最後に語り始め
     る物語が二人の物語で、王がそのことを悟る版など、様々なパターンがある。
 (注20)ムフシン・サイイド・マフディー(1926年~2007年)はバグダード生まれのイラク系アメリカ人で、イスラム文
     献学者・イスラム哲学者。特に文献学と政治哲学の面では、第一人者であった。シーア派12イマーム派である。ハ
     ーバード大学で長く教鞭を取った(1969年~1996年)。ヨーロッパの古代と中世のテキストを批評する方法をイス
     ラム文献の批評に取り入れ、アラビア語学とイスラム哲学で同様な基準を確立した。
 (注21)ジョセフ=シャルル・マルドリュス(1868年~1949年)は、亡命グルジア(現ジョージア)人一族の出身でカイ
     ロで生まれた医師・東洋学者である。「千夜一夜物語」の翻訳では、アラビア語法を多く取り入れた。
 (注22)サー・リチャード・フランシス・バートン(1821年~1890年)は探険家・作家・言語学者・翻訳家・軍人・外交
     官で、19世紀の大英帝国を代表する冒険家。デヴォン州の生まれ。40に及ぶ言語を話せた。"ESP"(「超感覚的感
     知」)という言葉の発明者である。




(指パッチンでエメ気分!)


数日前から、なんかのはずみで部屋にハエが一匹はいってきてて~

うまく追い出せないし~、殺生すんのもやなんでほったらかしてると、

うちのネコどもがときどき飛んでるのを見つけて興奮してるwww


さぁて、今週はメインクエスト最後まで行くよっ!!

「戦士」だとちょっと不安だけど・・・

でも、レベル80戦闘職「戦士」だけだしww

サブクエストのIDや「工場」、「エデン」とかどうするかな・・・

なんか、毎週こんなこといってるしwww


んじゃぁ、またね( ´Д`)ノ~バイバァイ
Comments (2)

Agrias Oakus

Aegis [Elemental]

ウチのネコたちは虫見ても見ぬふりして放置してます🐈

でも、時々庭でトカゲを見つけるとヒャッハー!して捕まえてきて、ドヤ顔で戦果を見せに来ます
イヤーーーーーー!!Σ(・ω・ノ)ノ!

Molulu Molu

Aegis [Elemental]

>Rosalia様
うちはマンションなんで、庭ないからトカゲの洗礼は受けてません^^
でも、ベランダの鉢に水やってると出てきて、スズメ捕まえようとするので気が抜けません。

ドヤ顔、かわいいよね~
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