
38位
B.B.キング 「Sweet Sixteen」
1970年|アルバム『Indianola Mississippi Seeds』
1950年代にB.B.キングが登場したとき、彼はギターの概念を根底から変えた。バディ・ガイが「B.B.以前は、誰もがアコースティックのようにギターを弾いていた」と語る通りだ。キングは、愛機ギブソン「ルシール」の弦をベンドし、生身の女性が咽び泣くような音を響かせることでその常識を覆した。彼はアイドルだったT-ボーン・ウォーカーから学んだスタイルを「Sweet Sixteen」などのヒット曲で洗練させ、全ギタリストが羨む語り口を確立した。「どんなギタリストを聴いても、そこには必ずB.B.の破片が混ざっている。彼はエレクトリック・ギターにおける『ストリング・スクイーズ(弦を絞る)』奏法の父なんだ」とガイは続ける。「Sweet Sixteen」は、ポップ・バラードの失敗が続いていたキングが、1960年にブルースの王座を奪還したカムバック作であり、彼の最もタフで峻烈なプレイが刻まれている。1974年にザイールで行われた「キンシャサの奇跡」の前夜祭での伝説的な演奏では、彼のギターの衝撃に、観戦していたムハンマド・アリが椅子から飛び上がったという。
37位
ラッシュ 「Limelight」
1981年|アルバム『Moving Pictures』
ラッシュにおけるアレックス・ライフソンの存在は不可欠だ。1981年の金字塔的アルバム『Moving Pictures』のリードシングル「Limelight」がそれを証明している。ライフソン特有の厚みのあるトーンと煌びやかなパワーコードは、一筋縄ではいかない変拍子のリフやヴァースに、スタジアムを揺らすほどのスケール感を与えている。特筆すべきは、その叙情的なアプローチと無駄を削ぎ落とした構成が生む情緒だ。ソロの幕開け、彼は長く引き伸ばされた音とフィードバックを、完璧に制御されたトレモロアームのダイブとビブラートで操り、そこから上昇するスケールへと一気に斬り込み、高音域の悲鳴のようなチョーキングでクライマックスを迎える。「このソロは曲の感情的な本質を映し出しているんだ」と、ライフソンはポッドキャスト『Shred With Shifty』で語っている。「ステージの上で人生を送るという断絶感、そしてそこから生じる孤独を表現しているんだ」
36位
キンクス 「You Really Got Me」
1965年|アルバム『Kinks』
レイ・デイヴィスが当初この曲をピアノで書いたとき、それがのちに人類が鳴らす「ノイズ」の未来を永遠に変えてしまうとは、誰も想像しなかっただろう。完成した「You Really Got Me」は、歪んだギターを全編に配した狂気的なロック・ナンバーへと変貌を遂げていた。伝説的なオープニング・リフに続き、デイヴ・デイヴィスが放つ荒々しく鋭利なソロは、ロックの概念に全く新しい混沌を突き刺した。あの耳を切り裂くようなザラついたサウンドは、デイヴが母親の編み棒でアンプのスピーカー・コーンを切り裂くという暴挙から生まれたものだ。それから10年余り後、ヴァン・ヘイレンがデビューアルバムにこの曲の「カリフォルニア流」カバーを収録したのも、決して偶然ではない。この曲こそが、のちに世界を震わせるヘヴィメタルの轟音が産声をあげた場所なのだ。
35位
ザ・ホワイト・ストライプス 「Ball and Biscuit」
2003年|アルバム
「Ball and Biscuit」の7分18秒すべてが一本の長いソロである、あるいはブルース・ロックの最高にクールなパッチワーク・キルトを作るために編み上げられた一連のソロである――そう主張する者がいてもおかしくはない。ジャック・ホワイトはビッグ・マフのファズを全開にし、歪みきった音と悲鳴のような高音を垂れ流すが、それは揺らぎのないスポークン・ワード風の歌詞と鮮やかな対照をなしている。一方で、メグ・ホワイトが屋台骨となり、ミニマルながら熱烈なドラミングでこのワイルドな旅を支え続ける。ロック界で最も偉大なデュオの一つによる見事なチームワークであり、本作を『Elephant』のセンターピースに据えるだけでなく、ザ・ホワイト・ストライプスの決定的なマニフェストにまで高めている。ボブ・ディランはこの曲を熱愛し、2004年にはホワイトにステージでの共演を熱望したほどだ。
34位
シスター・ロゼッタ・サープ 「Strange Things Happening Every Day」
1944年|シングル
これを「史上初のロックンロール・ギターソロ」と呼ぶ人もいれば、単に「史上初のロックンロール・ソング」と見なす人もいる。1944年にリリースされた「Strange Things Happening Every Day」は、シスター・ロゼッタ・サープにとってゴスペルからR&B(当時は「レース・レコード」と呼ばれていた)へと越境した最初のヒット曲となった。もし彼女がこの一曲しか残していなかったとしても、ロックに与えた影響は計り知れない。わずか25秒間のギターソロに込められた、抑制されたスリル、怒り、そしてほとばしる歓喜のせいだ。その25秒の中に、戦後アメリカの新しい時代の夜明けが鳴り響いている。「彼女のリズミカルなアプローチは、当時のスウィング・フィールと、後のロックを特徴づけることになるストレートな8分音符の間のギャップを埋めている」と、音楽学者のジェームズ・ペローネはその著書で綴っている。まさにロックの遺伝子が産声を上げた瞬間だ。
33位
ダイアー・ストレイツ 「Sultans of Swing」
1978年|アルバム『Dire Straits』
70年代のロックギター・ヒットといえば、大抵はラウドで巨大なアリーナ向けのパワーを追求していた。だが、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラーは、愛機1961年製フェンダー・ストラトキャスターから放たれる明るくクリーンなサウンドと、軽快で複雑な指弾き(フィンガースタイル)で全く異なる方向を示した。最初のソロは30秒間にわたる軽やかで精密な美しさを湛え、時にはスティール・ギターで奏でるブギ・ブルースのようにさえ聞こえる。二つ目のソロは、ゆったりとした閃光のように始まり、激しいアルペジオへと昇り詰めていく。音が凄まじい速さで飛び交うときでさえ、彼のプレイはクールで慎重、そしてまるで会話をしているかのようだ。この曲が世界にとってのダイアー・ストレイツの入門編となり、その後何年も彼らの最大のヒット曲であり続けた。ノップラーは「実際のソロについて言えば、毎晩弾いていたことを多かれ少なかれやっただけさ」と振り返っている。
32位
ザ・ビートルズ 「Something」
1969年|アルバム『Abbey Road』
ギターの名手ジョージ・ハリスン自身によって奏でられる、ピアノのような丸みのあるトーンを持った26秒間の甘美なソロ。控えめな歪みを効かせたその調べだけで、ビートルズの正典(カノン)の中でも屈指のダイナミズムと叙情性を備えた名演が完成する。高鳴るストリングスに彩られたこの曲は、その驚くべきシンプルさにおいて、まさに「特別なもの(Something)」だ。「ジョージの作品は、当時はそれほど大きな注目を浴びていなかった。他のメンバーが帰った後に、彼が僕に居残ってくれと頼むほどにね」と、デモ録音に立ち会ったエンジニアのグリン・ジョンズは語る。「彼はひどく丁寧で、まるで僕に無理を言っているかのようだった。だが、彼がこの曲を弾き始めた瞬間、僕は完全に圧倒されてしまったんだ」
31位
ブラック・サバス 「War Pigs」
1970年|アルバム『Paranoid』
トニー・アイオミは長年、ブラック・サバスの象徴的なリフやソロは「書いた」というよりも、その場の空気に基づいた膨大なジャム・セッションを通じて「召喚した」のだと語ってきた。そしてその空気は、常に暗雲が垂れ込めるようなものだった。1970年の反戦アンセム「War Pigs」は、不吉なギタードローンと空襲警報で幕を開けるが、この曲の黙示録的な世界観を真に捉えているのは、アイオミの極めて情念的なソロだ。テクニックの誇示を避け、映画のようにヘヴィな雰囲気を作り出すことで知られる彼は、トレードマークである泥臭い短調のブルースでソロを開始。しかし、その剥き出しの即興プレイはやがて、チョーキングと持続するフィードバックによる混沌とした猛攻へと繋がっていく。それは当時の時代の恐怖と混乱を捉え、ギーザー・バトラーの残酷な歌詞を鮮烈に具現化している。
30位
アイズレー・ブラザーズ 「That Lady, Pts. 1 & 2」
1973年|アルバム『3 + 3』
アーニー・アイズレーはギターヒーローになるべくして生まれたと言えるかもしれない。彼は一家の末っ子として、兄たちが60年代最大のR&Bグループの一つとして君臨する姿を見て育った。1960年代初頭、アイズレー・ブラザーズのツアー・ギタリストが一家の自宅に居候していたこともある。後にスーパースターとなるジミ・ヘンドリックスだ。しかし、当時まだ10代だったアーニーが加入したことで、グループはさらなる高みへと到達した。1973年の夏、至る所で流れていた「That Lady」は、アーニーによるジミ直系のファズが効いたストラトキャスターが牽引する、魅惑的なソウル・スマッシュだ。ビッグ・マフとマエストロのフェイザーを介して鳴り響くそのソロを録り終えた直後、本人の第一声は「とんでもないミスを弾いちまった」というものだった。しかし翌日、彼は自問した。「俺は何を言ってたんだ?」と。このソロはヒップホップの試金石となり、ビースティ・ボーイズからケンドリック・ラマーまで、数々の名曲にサンプリングされている。
29位
ザ・ローリング・ストーンズ 「Can’t You Hear Me Knocking」
1971年|アルバム『Sticky Fingers』
ミック・テイラーがストーンズに在籍した5年間における決定的な瞬間は、1970年の『Sticky Fingers』セッション中に多かれ少なかれ偶然に生まれた。「まだテープが回っていることすら知らなかったんだ」とキース・リチャーズは後に回想している。「演奏は終わったと思っていたからね」。実際にはテープは回り続け、この曲を締めくくる幻想的なグルーヴの冒険を捉えていた。当時21歳の若き天才テイラーは、サンタナを彷彿とさせる次元までプレイを拡張させている。「僕がちょっとしたスパイスを加えたと思いたいね」とテイラーは語る。「チャーリー(・ワッツ)は僕が『finesse(技巧的な繊細さ)』をもたらしたと言ってくれた。チャーリーがそう言うのなら、お言葉に甘えておくよ」
28位
サンタナ 「Black Magic Woman」
1970年|アルバム『Abraxas』
カルロス・サンタナのギタースタイルは、その広大で全方位的な影響源から形作られている。マリアッチ奏者だった父親から手ほどきを受け、そこにラテン・ジャズやブルースの要素を注入することで、超自然的でこの上なく流麗な「語り口」を確立した。「Black Magic Woman」のソロはその集大成と言える。ピーター・グリーンが書き、フリートウッド・マックが世に広めたこのブルースの古典は、サンタナの鮮やかな手腕によってコンガ主体のパーカッションと融合し、火花を散らすような新たなエネルギーを宿した。グリーンのダイナミックなソロを尊重しつつも、サンタナらしいタッチ──気品があり、軽やかで、ビートの頂点に絶妙に留まるようなタメ──を加えることで、楽曲に新たな生命を吹き込んだ。
27位
メタリカ 「One」
1988年|アルバム『...And Justice for All』
カーク・ハメットがギターについて知っていることのすべては、メタリカのブレイクスルー・ヒット「One」の後半のソロに集約されている。跳ね回るタッピングの3連符、ディミニッシュを用いたジャズ的なスウィープ、ブルースのチョーキング、そしてワウによる感情豊かな表現。彼のプレイは、ジョー・サトリアーニの教え子として学んだ技法と、メタリカで腕を磨く中で培った独創性を反映しており、「Fade to Black」のメロディアスさと「Master of Puppets」の猛烈な連打を真っ向から対峙させている。「あのソロの構成のせいで、ずいぶん寝不足になったよ」とハメットはかつて語っている。「後半のメインソロ、あのエディ・ヴァン・ヘイレン・スタイルのタッピングは、ほとんど即座に思いついた。あのパートのリズム・セクションの上でソロを弾くのは、僕にとって最高にエキサイティングなことだったんだ」。ライブで聴けば、その興奮はさらに倍増する。
26位
クリーム 「Crossroads」
1968年|アルバム『Wheels of Fire』
1968年、パワー・トリオのクリームがウィンターランド・ボールルームでこの曲を演奏したとき──3枚目のアルバム『Wheels of Fire』に収録されたライブ・バージョンだ──エリック・クラプトンが解き放ったソロは、「クラプトンは神である」という落書きがそれほど大げさではなかったと思わせるに十分なものだった。2つあるインストゥルメンタル・パートの後半、2分30秒付近から始まる即興セクションに彼が斬り込むとき、60年代イギリスのブルース革命全体が頂点に達し、炎となって燃え上がるかのようだ。アメリカのロック狂の一世代がこれに釘付けになり、世界中のギタリスト志望者たちが熱心にメモを取った。エディ・ヴァン・ヘイレンは、このソロへの愛を問われた際、一音漏らさず完璧に弾いてみせたという。
25位
ガンズ・アンド・ローゼズ 「Sweet Child O’ Mine」
1987年|アルバム『Appetite for Destruction』
このGNRの出世作となったシングルの導入となるリフはあまりにも象徴的だが、「Sweet Child O’ Mine」に魂と情熱を吹き込んでいるのはスラッシュのソロだ。ヴァースにおけるアクセル・ローズの甘い歌声に呼応するかのように叙情的なそのプレイは、レスポールのクリアで張りのあるトーンから始まり、やがて爆発的なブルージー・ディストーションの嵐へと昇り詰めていく。意外なことに、スラッシュが『Appetite for Destruction』の中で気に入っているのは、実はこのソロ・パートだけだという。彼はしばしば、この曲を「バラードに寄りすぎている」と敬遠していた。「どうしても肌に合わなかったんだ」と彼はかつて語っている。「ソロ・パートのコード進行は自分で持ち込んだんだけど、僕にとってあの曲の中で唯一救いと言えるのがそこだったんだ」
24位
テレヴィジョン 「Marquee Moon」
1977年|アルバム『Marquee Moon』
テレヴィジョンは究極のニューヨーク・ギター・バンドであり、都会の喧騒の中で新たなパンク・サイケデリアを切り拓いた。フェンダー・ジャズマスターを抱えたトム・ヴァーレインと、ストラトキャスターを操るリチャード・ロイド。二人はCBGBにおける「グレイトフル・デッドへの回答」とも言うべき即興演奏を繰り広げた。10分に及ぶ大作「Marquee Moon」において、ヴァーレインは都会の夜景に催眠術をかけられたかのように、不気味なスタッカートのグルーヴの上を、幽玄な高音域のトーンで飛翔する。パティ・スミスはその音を「千羽の青い鳥の叫び」と評した。彼らは毎晩この曲を未知の領域へと連れ出し、1978年のポートランド公演では17分に及ぶ熱演を披露している。「ただステージに立ち、何かを創り出したかった」とヴァーレインは語る。「だから何かが起こるまで弾き続けた。それはジャズやザ・ドアーズ、あるいはヤードバーズのライブ盤に見られるようなダイナミズムから来ているんだ」。ペイヴメントやウィルコ、ギースといった、挑戦を恐れないあらゆるバンドに門戸を開き続けるギターの冒険譚である。
23位
デレク・アンド・ザ・ドミノス 「Layla(いとしのレイラ)」
1970年|アルバム『Layla and Other Assorted Love Songs』
1970年8月、デュアン・オールマンはエリック・クラプトンが新バンドと共にマイアミで録音中だと聞きつけ、ふらりとセッションに立ち寄った──そこから歴史が動き出す。「ある種のテレパシーが働いていたに違いない」とプロデューサーのトム・ダウドは語る。「これほどの速度と熱量で、自発的なインスピレーションが湧き上がるのを私は見たことがない」。スカイドッグ(デュアン)とスローハンド(クラプトン)に面識はなかったが、瞬時に音楽的な化学反応が起こり、アルバム全体が至高のギター・デュエルへと変貌した。特にパティ・ボイドへの切実な想いを綴ったタイトル曲はその白眉だ。クラプトンによれば、あの象徴的なリフを考案したのはオールマンだが、彼はさらにその上をいく、まるで地獄の番犬に追われるテルミンのような高音のスライドソロを炸裂させた。録音には、誰かが思わず「ウォーー!」と息を呑む声まで刻まれている。そして静謐なピアノの幕間の後、オールマンは最後に鳥のさえずりのようなフレーズを添え、この愛の叙事詩を締めくくった。
22位
ニール・ヤング&クレイジー・ホース 「Powderfinger」
1979年|アルバム『Rust Never Sleeps』
ニール・ヤングの音楽史は、「Cinnamon Girl」の潔い単音ソロから、「Like a Hurricane」や「Cortez the Killer」、「Danger Bird」で見せる白昼夢のようなプレイまで、無骨なギターの栄光に満ちている。しかし、1979年の名盤『Rust Never Sleeps』の中核をなす怪物的な一曲「Powderfinger」こそ、パンク・ロックの台頭に応戦するかのような、最も激越なシェイキー(ニールの愛称)の姿を捉えている。そのソロは、暴力的なまでの荒々しさを剥き出しにしながら、同時にこの上なく脆く、まるで哀歌(エレジー)のようでもある。それは、理解しがたい紛争に巻き込まれた少年の痛切な叫びそのものだ。クレイジー・ホースの地を盤るような重厚なリズムに支えられ、彼は1960年代後半からステージで酷使し続けてきた1953年製レスポール・ゴールドトップ「オールド・ブラック」を手に、音の荒野へと漕ぎ出していく。今なおライブのハイライトであり続けるこの曲で、ヤングは何ヴァースにもわたって感情を燃え上がらせる。「練習して偉大になろうなんて無理な話だ」と、彼は伝記『Shakey』の中で語っている。「大切なのは自分自身と調和していることだ。そうすれば、たとえチューニングの狂ったギターを弾いたとしても、それは素晴らしい音楽になるんだ」
21位
スティーヴィー・レイ・ヴォーン 「Texas Flood」
1983年|アルバム『Texas Flood』
スティーヴィー・レイ・ヴォーンの「Texas Flood」におけるソロは、このブルースの再興者が1982年にデビューアルバムのセッションで初めて録音したときと変わらぬ生命力を、今なお放ち続けている。この曲を含む同名アルバムは、ジャンルへの新たな関心を呼び起こす原動力となった。ギター・ブルースの初心者にとって、ヴォーンのソロは衝撃的だ。2分近くに及ぶスポットライトの中で、この亡きギタリストはフェンダー・ストラトキャスターの限界をどこまでも押し広げ、内なる悪魔をすべて追い払うかのようなプレイを見せる。デヴィッド・ボウイの『Let’s Dance』セッションで彼と共に録音したベーシストのカーマイン・ロハスによれば、SRVはミューズに導かれるままに弾いていたという。「多くの奴らはテクニックこそ凄いが、魂が欠けている。その両方が必要なんだ」と彼は語っている。「『Texas Flood』は感情の歌だ。聴けば、彼がスピーカーを突き破って迫ってくるように感じるはずだ。彼は一切のまやかしなしで弾いていたんだ」
20位
ジェフ・ベック 「Freeway Jam」
1975年|アルバム『Blow by blow
ジェフ・ベックがいかに革新的であったかを考えれば、本記事のリストがすべて彼のソロで埋め尽くされていても不思議ではない。ヤードバーズの「Shapes of Things」では震えるようなロック・ラーガを響かせ、「Beck’s Bolero」ではレーザー光線のようなリードと溜息をつくようなブルースを融合させた。「People Get Ready」のむせび泣くようなプレイはロッド・スチュワートの歌声以上にソウルフルであり、「Nadia」はトリップ・ホップのビートの間で羽ばたくようなアーミングを聴かせる瞑想曲だ。しかし、彼の遺産が最も鮮やかに花開いたのは、アルバム『Blow by Blow』に収録された「Freeway Jam」だろう。4分半に及ぶジャズ・フュージョン風の表現主義の中で、ベックは浮遊するハーモニクスをベンドし、高音域を揺らし、フレットと戯れながら音を震わせる。これは演奏技術の極意を集めたマスタークラスだが、彼という巨大な氷山の一角に過ぎない。
19位
レイナード・スキナード 「Free Bird」
1973年|アルバム『(Pronounced 'Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd)』
君が聴きたいのはどの曲だ? 答えはただ一つ、「フリー・バーーーード!」だ。1973年にレイナード・スキナードがこのライターの火を掲げたくなるサザン・ロックの叙事詩を世に送り出して以来、ファンはこの曲名を叫び続けてきた。たとえそれが他のアーティストのライブであってもだ(1976年に行われたザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」でさえ、ローリング・ストーン誌のグレイル・マーカスは「誰かが『Free Bird』をリクエストしやがった」と報告している)。スキナードがフロリダのバー・バンド時代にこの曲を引き伸ばし始めたのは、シンガーのロニー・ヴァン・ザントに息をつかせるためだった。「お前ら、もう少し長く演奏してくれ」と彼はメンバーに言った。「喉が痛いから休みが必要なんだ」。アレン・コリンズはギブソン・エクスプローラーで4分間に及ぶソロを弾き、ゲイリー・ロッシントンがSGでスライドのフィルを加えた。「あの長いジャムはすべてアレン・コリンズ自身によるものだ」とロッシントンは語る。「あいつは凄かった。最高にキレてたんだ。骨の髄まで本物の男だった」。このソロは、あの日からずっと、バイカーたちをビールの中で泣かせ続けている。