
31位 ジョージ・ハリソン / George Harrison
ジョージ・ハリスンはザ・ビートルズのメンバーとして、レコードを出すたびに新境地を開拓し、ギターの革新的な可能性を広げていった。彼は、ロックバンドにおけるリードギタリストの役割を確立しただけでなく、ギターという楽器をポップミュージックの中心へ据えた功労者でもある。リヴァプール(イングランド)時代の若きハリスンは、誰よりも熱心にひたすらギターの練習を重ね、いわばはったりのような形でビートルズへ加入した。少年時代のハリスンはロカビリーに夢中で、カール・パーキンスが彼のヒーローだった。そしてビートルズとしてキャヴァーン・クラブで演奏した「I Saw Her Standing There」では、熱狂的なギターソロを聴かせるまでに成長する。さらに彼の挑戦は留まることなく、インド音楽にインスパイアされたアルバム『Rubber Soul』から、サイケデリックな『Revolver』やエレガントな『Abbey Road』まで、一音も無駄にすることが無かった。「他の奴らがプレイしない隙間を埋めるのが、僕の役割さ」と語ったハリスンが、より深みのあるプレイで本領を発揮したのは、ビートルズの解散後だった。ソロアルバム『All Things Must Pass』や『Living in the Material World』では、見事なスライドギターを聴かせている。友人のトム・ペティは「(ハリスンのスライドギターは)まるで人の歌声のように聴こえる。すぐにハリスンだと分かる、彼自身の特徴ある歌声と同じなんだ」と語った。
30位 ニール・ヤング / Neil Young
ソロとして成功する以前のニール・ヤングは、ザ・スクワイヤーズやザ・マイナー・バーズ、さらにはバッファロー・スプリングフィールド、そしてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングで、ギタースキルを磨いた。ソロアルバム『Harvest』がリリースされる頃までに、ヤングは、アコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの両方を巧みに操れるようになっていた。だから同じステージで、穏和なフォークソング「The Needle and the Damage Done」とワイルドなプロト・グランジの「Down by the River」といった、両方のタイプの楽曲を披露できた。「若いギタリストが参加するギターの上級者向けクラスで教えるとしたら、“Down by the River”のギターソロから冒頭の1分間を切り取って、最初の教材にする」と、トレイ・アナスタシオは言う。ヤングの有名なギターソロの中には、文字通り1つの音を繰り返すものもあるため、「原始的」と評価するギター純粋主義者もいた。しかしそういった評価は、ヤングの作品の本質を完全に見失っている。「ギタースケールの弾き方を知っていようがいまいが、関係ない」とヤングは1992年に語っている。「どんなに優れたテクニックを持っていても、人々の心は掴めない。問題は、音楽を通じて表現するフィーリングがあるかどうかが肝心なんだ。」
29位 エディ・ヘイゼル / Eddie Hazel
今は亡きエディ・ヘイゼルを一躍ギターレジェンドにした「Maggot Brain」にフィーチャーされた10分間のギターソロは、ドラッグによるトリップ中に生まれたという伝説がある。レコーディング中に、ファンカデリックのバンドリーダーだったジョージ・クリントンがヘイゼルに向かって「母親の訃報を受けた瞬間を想像して、弾いてみろ」と指示し、さらに後半は「その後、実は母親は無事だった、という知らせを受けたと思って弾け」と言われて、ヘイゼルはギターソロを構成したという。「ヘイゼルは即座に、俺の言わんとしているところを理解したようだった」とクリントンは回顧録に書いている。「彼のギターから出るひとつひとつの音が、銀色に光る蜘蛛の糸のように広がっていくのが分かった。彼のギターソロを聴き返してみると、彼が音楽的才能溢れるギターの名手だったというだけでなく、ポップミュージック史上最もエモーショナルな瞬間に立ち会えたことを実感する」とクリントンは言う。Pファンクでのプレイやヘイゼル自身のソロワークには、グルーヴのパワーとサイケデリックな盛り上がりがスリリングにミックスされている。しかし、ネルス・クライン、J・マスキス、ウォーレン・ヘインズ、マイク・マクレディらヘイゼルのフォロワーが最もインスパイアされたのは、何と言っても「Maggot Brain」だ。彼らはそれぞれのライブで同曲をカバーし、才能豊かなエディ・ヘイゼルのスピリットを伝えている。
28位 デヴィッド・ギルモア / David Gilmour
プロデューサー兼ソングライターとして活躍するピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアは、宙に漂う幻想的なテクスチャーを好む。ところが愛機である黒のストラトキャスターから繰り出されるギターソロは、感性が全く異なる。「リードギターのトーンは、ブライトかつパワフルで攻撃的な方がいい」とギルモアは言う。ブルーズをレパートリーとしないバンドの中で、彼のギターソロは熱情的なブルーズを感じさせる。彼の弾く、広がりのあるエレガントかつどこまでもメロディアスなギターソロは、『The Dark Side of the Moon』の中で突然鳴り出す目覚まし時計のように、心の準備が必要だ。同時にギルモアは、ピンク・フロイドの映像作品『Live at Pompeii』の頃には、アバンギャルドなインプロビゼーションを披露した。さらに「Have a Cigar」の高度なギターリフや、シックを彷彿させる「Another Brick in the Wall, Part 2」のように、突然ファンキーなリズムギタリストに変身したりすることもある。ギルモアは、ピンク・フロイドのオリジナルメンバーだったシド・バレットの影響で、エコーをはじめとするエフェクトにも精通するようになった。「Run Like Hell」にフィーチャーされた絶妙なディレイの使い方は、決してU2のジ・エッジの専売特許では無いのだ。
27位 バディ・ガイ / Buddy Guy
バディ・ガイを取り巻く人々は、彼のギターをただのノイズだと評価していた。彼はルイジアナの田舎にある実家で大騒ぎしたために、家族から追い出された。また、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフ、リトル・ウォルターらとのセッションでは、チェス・レコードを立ち上げたレナードとフィルのチェス兄弟に(ガイ曰く)「自分の思い通りにプレイさせてもらえなかった」という。しかしやがて新世代のロッカーが、ブルーズを再認識し始めた。するとガイのギタースタイルは、ジミ・ヘンドリックスやジミー・ペイジらロックギターの巨匠と呼ばれるギタリストたちに大きな影響を与えた。「Stone Crazy」や「First Time I Met the Blues」をはじめ、ハープ奏者の故ジュニア・ウェルズとのコラボ作品で特徴的な、音程を大きく上げるベンディング、大胆なディストーション、熱狂的なリックなど、ガイの華々しいプレイスタイルは、ギタリストたちの常識を変えた。ギターソロの途中で客席に降りて弾き続けるようなショーマンシップは、87歳になった現在も健在だ。2005年にガイは、ロックの殿堂入りしている。「僕にとってバディ・ガイは、エルヴィス・プレスリーのような存在だった」と、授賞式でエリック・クラプトンが述べた。「彼は、僕の目指すべき針路へと導いてくれる水先案内人だった」。
26位 セイント・ヴィンセント / St. Vincent
セイント・ヴィンセントことアニー・クラークの作り出す複雑かつアトモスフェリックな音楽は、決してギター中心では無い。しかしギターに対する彼女のイノベーティブなアプローチは、深く印象に残る。バークリー音楽院で学んだ彼女は、ロバート・フリップ、エイドリアン・ブリュー、マーク・リーボウといったギターの名手から大きな影響を受けている。グラミー受賞歴のあるセイント・ヴィンセントは、自らに備わるギターの才能を楽曲の中で決してひけらかすことなく、ギターのトーンやカラー、ボイシング、ハーモニー、エフェクトの魅力を上手に引き出して重ね合わせている。「“私は誰よりも速く弾けるのよ”などという感じで、ギターでエゴを出したくない」と彼女は、プレミア・ギター誌のインタビュー(2011年)で語っている。「アスリートのような競争には興味が持てない。そこがアスリートとアーティストの違いかもしれない。音楽的に成立させつつ、人々を感動させられるのが理想的な妥協点ね」。
25位 ジョン・フルシアンテ / John Frusciante
かつてのレッド・ホット・チリ・ペッパーズに音楽的な特徴が無いように思えてしまうのは、ジュリアード音楽院で学んだピアニストの息子であるジョン・フルシアンテの存在が大きい。オリジナル・メンバーの故ヒレル・スロヴァクは、バンドにとって余人をもって代え難いギタリストだった。しかし2度の脱退を経てまた復帰したフルシアンテが、チリ・ペッパーズをホワイト・ファンクのゲットーから引きずり出し、独自の世界を築く上で重要な役割を果たした。常に楽曲に対して忠実にプレイするフルシアンテだが、スティーヴィー・ワンダーのカバー曲「Higher Ground」にフィーチャーしたハードロックのギターリフ、センシティブに響く「Under the Bridge」や「Scar Tissue」のギター、「Breaking the Girl」のムーディーな雰囲気、「Dani California」のジミ・ヘンドリックス張りに激しいギターソロなど、チリ・ペッパーズにかつてない音楽の幅をもたらした。幅広くさまざまな要素を取り入れたアルバム『Californication』や『Blood Sugar Sex Magik』などは特に、バラエティに富んでいる。またフルシアンテを、オルタナティヴ・ロック時代の最も影響力と勢いのあるギタリストにした作品でもある。
24位 ジェームズ・バートン / James Burton
ジェームズ・バートンのトレードマークで、クリアで明るく歯切れの良いサウンドを弾き出す「チキン・ピッキング」は、カントリー・ミュージックに欠かせないユニークなテクニックであると同時に、ロックギターにも大きな影響をもたらした。14歳でキャリアをスタートさせたバートンは、1957年にデール・ホーキンスへ「Susie Q」を提供し、その後リッキー・ネルソンのバンドへ加入すると、ティーンエイジのスターとして一気に有名になった。ネルソン時代にバートンは、ギターピックとフィンガーピッキングを併用するユニークなテクニックを編み出した。さらに、当時使用していたフェンダー・テレキャスターの高い方から4本の弦をバンジョー用の弦に張り替えて、切れの良い弾けるユニークなギターサウンドを実現した。「俺の買ったレコードは、リッキー・ネルソンのレコードではない。ジェームズ・バートンのレコードだ」とキース・リチャーズは言う。60年代後半から70年代にかけてバートンは、エルヴィス・プレスリーのTCBバンドに所属する傍らで、ジョニ・ミッチェルやグラム・パーソンズといったカントリー寄りのレコーディングにも参加した。「 “俺のお気に入りのレコードすべてにクレジットされているこの人は、いったい何者だ?”という感じで、とてもミステリアスな存在だった」と、ジョー・ウォルシュは振り返る。「彼のギターテクニックは、何よりも重要だった」。
23位 ジェイムズ・ヘットフィールド&カーク・ハメット / James Hetfield and Kirk Hammett
スピード狂として衝撃のデビューを果たしたメタリカ。シンガー兼リズムギターのジェイムズ・ヘットフィールドが繰り出す高速ヘッドバンギングのリフは、まるでブラック・サバスのレコードを78回転で高速再生しているようだ。さらにリードギターのカーク・ハメットが、ありとあらゆる方向へ音を撒き散らす。ヘットフィールドは、ハメットの前任者であるデイヴ・ムステイン(現在はメガデスのギターヒーロー)と共に最速のギタープレイを目指して、指の動きを最低限に抑える速弾き法を研究した。結果として「Phantom Lord」や「Jump in the Fire」などの楽曲で、ヘヴィメタルに新たな風を吹き込むこととなる。さらにジョー・サトリアーニに師事した経験のあるハメットが、2ndアルバム収録の「Fade to Black」や「The Call of Ktulu」のようにソウルフルなメロディを持ち込んだことで、バンドに新たなカラーが加わった。激しい怒りを叩きつけるようなヘットフィールドのギターと、ワウワウを駆使したハメットのエモーショナルでセンシティブなメロディの二面性が、バンドを大きな成功に導いたと言える。「Enter Sandman」「One」「Master of Puppets」などには、メタリカの特徴である静と動が明確に表現されている。
22位 アルバート・キング / Albert King
1968年にローリングストーン誌は、アルバート・キングがどんなギタリストに影響を受けたか尋ねている。彼は「誰からも学んでいない。俺のやっていることは全部間違いだ」と答えた。エレクトリック・ブルーズのパイオニアの一人である左利きのキングは、右利き用のギブソン・フライングV(1959年製)を、低音弦が下に来る形でひっくり返してプレイした。チューニングも変則的で、左手の親指を使って弦を弾いていた。身長193cm、体重136kgと体格のよかったキングは、誰よりも大きくパワフルに弦をベンドできた。エリック・クラプトンは「Strange Brew」(クリームの楽曲)でキング調のギターソロを披露し、デュアン・オールマンは、キングの「As the Years Go Passing By」のメロディを「Layla」(デレク・アンド・ザ・ドミノス)のメインリフとして取り込んだ。ジミ・ヘンドリックスは、1967年にザ・フィルモアで行ったコンサートのオープニングを、自身のギターヒーローだったキングが務めた時のことを、決して忘れなかった。「俺が(ヘンドリックスに)ブルーズを教えてやったのさ」とキングは語った。「俺は奴の曲を簡単に弾けたが、奴は俺の曲を弾けなかったからな」。
21位 ランディ・ローズ / Randy Rhoads
ランディ・ローズのギタリストとしてのキャリアは、あまりにも短すぎた。1982年、彼は飛行機事故でこの世を去った。25歳だった。オジー・オズボーンの「Crazy Train」や「Mr. Crowley」のギターソロに代表される、緻密に構成された正確な速弾きは、その後のヘヴィメタル/ハードロックにおけるギターソロのお手本となった。「彼のように弾きたくて、1日8時間も練習した」と語るトム・モレロは、ランディ・ローズを「史上最高のハードロック/ヘヴィメタルのギタープレイヤーだ」と称賛する。ティーンエイジャーの時にクワイエット・ライオットを結成したローズは、バンド活動とギター講師を数年間続けていたが、その後1979年にオジー・オズボーンのブリザード・オブ・オズ・バンドに加入する。ローズは、オジー・オズボーン・バンドのツアーで訪れたそれぞれの都市で、ギターレッスンを受けていたとも伝えられている。最後のアルバムとなったオズボーンの『Diary of a Madman』でローズは、さらにクラシック音楽へ傾倒すると同時に、ジャズへも幅を広げていった。「彼は、ギタープレイヤーとしての自分を極めようとしていた」とニッキー・シックス(モトリー・クルー)は言う。「あと少しのところだった」。
20位 スティーヴィー・レイ・ヴォーン / Stevie Ray Vaughan
1980年前半はMTVが開局して音楽が盛り上がりを見せていたものの、ブルーズギターは主流から遠く離れた場所にあった。そのような状況の中でも、テキサス出身のスティーヴィー・レイ・ヴォーンは、注目を集める存在だった。彼は、歴史に残る偉大なるブルーズギタリストたちのスタイルを全く踏襲せず、ジミ・ヘンドリックスやジャズやロカビリーの要素を積極的に取り入れた。さらに、彼の出す強力なトーンとさりげなく繰り出す高度なテクニック、そして非の打ちどころの無いスイングのセンスで「Pride and Joy」のようなブルーズ・シャッフルを、ヘヴィメタルの楽曲と同じレベルのヒット作に仕上げた。ヴォーンは、B.B.キングやエリック・クラプトンといったブルーズギタリストからも、一目置かれる存在だった。1990年にヘリコプターの墜落事故によってこの世を去った後も、マイク・マクレディ(パール・ジャム)からジョン・メイヤーやゲイリー・クラーク・ジュニアまで、何世代にも渡るギタリストに影響を与え続けている。「スティーヴィー・レイ・ヴォーンに憧れて、ストラトキャスターが欲しかった。でも彼の出すトーンはとても大きくて厚みがあり、同時にブライトだった。とても真似できない」とクラークは言う。「彼のレコードや動画を視聴してみれば、彼が常に全力でプレイしているのが分かる。彼のパッションには圧倒される」。
19位 フレディ・キング / Freddy King
1985年のインタビューでエリック・クラプトンは、フレディ・キングのB面曲「I Love the Woman」(1961年)を聴いて「ベンディングを多用する彼のエレクトリック・リードギターが、自分の方向性を決定づけた」と語っている。クラプトンだけでなく、ピーター・グリーン、ジェフ・ベック、ミック・テイラーといったイギリスのギターヒーローたちもまた「The Stumble」「I’m Tore Down」「Someday, After Awhile」といったフレディ・キングの代表曲にフィーチャーされたシャープなトレブル・トーンやシンプルながらメロディックなフックから、大きな影響を受けた。立派な体格と挑発的なライヴでのプレイスタイルから「テキサスのキャノンボール」と呼ばれたキングのギターアタックは、特徴的だった。「金属と金属が当たって生まれるサウンドは、印象深い」とデレク・トラックスは言う。キングは、バンジョー用の金属製ピックを使ってギターを弾いていた。「でも、彼と同じやり方をしたところで、彼のようなギターサウンドにはならない」とトラックスは指摘する。さらに「エリック(・クラプトン)と一緒にプレイした時に、彼のギターソロからフレディ・キングを感じたことが何度もある」と、フレディ・キングがクラプトンに与えた影響力の大きさも証言している。
18位 トム・モレロ / Tom Morello
ジミ・ヘンドリックスのようなレアケースを除き、過去4〜50年のロックギターのサウンドは、どれも似通っていた。そこへ現れたのがレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと、そのバンドでギターを弾くイノベーターだった。ボーカルのザック・デ・ラ・ロッチャが政治問題を込めた歌詞を激しくぶつければ、トム・モレロは斬新なギターサウンドと独特なギタープレイで応戦する。「Bulls on Parade」(『Evil Empire』)のレコード・スクラッチ音、デビューアルバム(1992年)に収録された「Killing in the Name」でエイリアンがプレイするビデオゲームのサウンド、同じくデビューアルバムの「Fistful of Steel」で聴こえる急降下爆撃機のようなサウンドなどはすべて、ギターとエフェクトペダルのみで作り出したモレロのイマジネーションの産物だ。「Sleep Now in the Fire」などエフェクターを駆使したモレロのギタープレイは、ザ・ストゥージズのロン・アシュトンを彷彿させるが、モレロの場合は、よりエネルギッシュにパワーアップしている。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがスタジオ・バンドとしての活動を休止して以降のモレロは、ザ・ナイトウォッチマンやストリート・スウィーパー・ソーシャル・クラブといったプロジェクトを続けているものの、活動は比較的控えめだった。しかし、ギターへの一般的な固定観念に対して彼が抱く激しい怒りの痕跡は、永遠に残り続ける。
17位 マザー・メイベル・カーター / Mother Maybelle Carter
「カーター・スクラッチ」として知られるギター奏法は、メイベル・カーターが自ら全くゼロの状態から発明した訳ではない。元々はレスリー・リドルが、自分の生み出した独特のフィンガーピッキング・スタイルをカーターに教えたところから始まった。その後、ザ・カーター・ファミリー名義で出した「Will the Circle Be Unbroken」「Wildwood Flower」「Bury Me Under the Weeping Willow」を通じて、カーターの奏法が世界的に知られるようになった。13歳でギターを弾き始めたカーターは、ギターを、単にかき鳴らしてリズムを刻む道具から、メロディ、リズム、ベースを同時にプレイできる楽器へと進化させた。彼女は「史上最も模倣されたギタープレイヤー」だと、シンガーソングライター(で、数多くの弟子の一人でもある)コートニー・マリー・アンドリューズが2019年に語っている。「私がギターを弾き始めた時は、周囲に一緒にやってくれる人間が一人もいなかった」と、カーターはかつて語っている。「だから私は、自分でスタイルを開発するほかなかった」。
16位 ロバート・ジョンソン / Robert Johnson
ロバート・ジョンソンの名前が世に知られるようになったのは、1938年にこの世を去ってから、何十年も経った後だった。1936年〜1937年の間にジョンソンがレコーディングした「Cross Road Blues」「Love in Vain」「Traveling Riverside Blues」を含む29の名曲は、エリック・クラプトンやボブ・ディランら後世のロックギタリストのバイブルとなった。クラプトンもディランも、一台のギターでアンサンブル全体を表現するジョンソンのプレイに圧倒された。ピッキング、スライド、リズムの各パート同士がワイワイガヤガヤと会話しているところに、霧の中からリフが現れては消えてゆく。クリーム、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ホワイト・ストライプスをはじめ、ブルーズの影響を受けたほとんどのアーティストが、ジョンソンの作品をカバーしている。ボブ・ディランは自叙伝『Chronicles』の中で、リリースされて間もないジョンソンのアルバム『King of the Delta Blues Singers』を聴いた時の衝撃を振り返っている。「スピーカーから出た最初の音を聴いた瞬間に、全身を電気が走った。ギターの突き刺すようなサウンドで、窓が割れてしまうかと思った」。