最初に書いとく。「精神力は限りある資源。怒りに費やすべきでない」
だが、言うべき事だと思ったから敢えて記事にする。
参考資料:【FF14】とある初心者さんが始めて1週間で引退→その理由にネトゲユーザーたちから共感の声
http://ff14net.2chblog.jp/archives/57705018.html「良かれと思ってが押しつけになってる」「自分でやりたかった」てのが象徴的な記事。
・・・では、果たしてどこまでが「親切のやりすぎ」なのだろうか?
思いやりは確かに大事、だが「最初から何もやらなくていい理由」にはならない。
「押し付けがましいのはよくない」てのは一面の事実だけど、
引退を選択したのは初心者本人の意志で、本人がその決断をした、それだけだよ。良いも悪いもない。
それを先輩が悪いような言い方されたらたまらんよ。
最初に好意を示して、相手と仲良くなりたい、っていう先輩の気持ち自体は解るじゃない?
イヤなら意思表示すればいいだけよ。
「遠慮して断れないし関係がギスる?」言うなればそれも「選択の訓練」。
「乗り越えるべき試練【ゲーム】」の一つじゃないか。
有名なゲーム実況者・クリエイターである「スパ帝」さんは、「ゲームは未来のキャリアである」と著書「GAME2.0」の中で説いた。要はゲームとは、ゲームの形を借りた「生きる訓練」なのであって、現実世界と切り離されたものじゃないのだよ。
断る断らないで意思表示をハッキリ出来るかどうかは、ひとつの訓練。「人間関係において、相手との適切な距離を保つスキル」の訓練と解釈出来る。
そこを考えるのが煩わしいからって、「何もせず見守れ」だ?
なんでそこ0か1しか無いわけ?それって「「自分でやりたかった」って言ってる初心者さんに、親切押し付けてる先輩」と何が違うの? 思いを押し付けてるって意味では同じ穴のムジナでしょうが。
能動的に動くかどうかは人それぞれ、己の流儀で決めれば良いこと。その行動の結果は「ご縁」でしかない。行動の結果責任、「業(ごう)」とも言うべきものは、各自で否が応でも引き受けざるを得ないんよ。別に傷ついてるのは引退した当人だけじゃないやろ?先輩だって「よかれと思ってやったのに」って悔いてる事でしょうよ。
そこまで思い至らない何もしない奴が、結果論でドヤ顔してるの、ちゃんちゃらおかしい。当事者の気持ちを自分だけは考えてるように装って、「加害者」とみなした側の気持ちには全く無関心。
この態度は、結局他人事としか見てないわけ。そういう奴ほど見守る見守る言いながら、結局何もしない。結果出てくる言葉が、自分が一番ラクな「何もせず見守れ」となるわけだ。事実として何もしなきゃ無視と同じなのに。
「やってみて、傷ついて、後悔して、立ち直って」ってサイクルがあるからこそ、人は前に進めるんであって、歩みを止めて何もしなかったら、それこそ「光の停滞」の中に無自覚に死んでいくだけなのよ。「聞いて…感じて…考えて…」!
光(停滞の近似値)の象徴であるハイデリンが、敢えてこの言葉選んだの、何でだと思うのよ?
だから、先輩のやった事は「ナイスガッツ」と褒められこそすれ、
「余計な事しやがって」とか、貶められるべきものでは、断じて、無い!
初心者をダシにして、自分の消極的なプレイスタイルを、他者に強要してるのは誰だ?
只でさえ、最初の一歩を踏み出して、誰かに声かけするのは度胸の要る事なんだから、何もしねー自分の堕落を正当化したいがために、他人の足引っ張るんじゃねーよ!
図々しくテメェの卑屈を押し付けるな。その傲慢は断じて許容しかねる!
・・・ハァ。だから、今回ばかりは何も言わずにおれない。
「色即是空 空即是色」シキソク ゼ クウ クウソク ゼ シキ
(「全ての存在は、ただそこにあるだけ。それ以上でも、以下でもない。」)
「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」ショウシキ ショウコウ オウシキ オウコウ シャクシキ シャッコウ ビャクシキ ビャッコウ
(「極楽(=「理想の世界」の象徴)では、それぞれ個性の色のままに輝いている。」)
他人は別に怖くないってば。怖いと思ってるからこそ貶めたがる。本人にその自覚はないだろうが。
自分が恐怖から開放されて安定したい、つまり「信じてもらいたい」と思うなら、まず相手を、他人を信用する事よ。思いってのは自己暗示的・自己催眠的で、信じたままがそのとおりの解釈になる。信じなければ、信じなかっただけの選択になり結果になる。それだけなのよ。
「(他)人は己を写す鏡」ってフレーズ、聞いたこと、無い?
現実世界の人間関係が煩わしいからネトゲに逃げてきた人もいるんかもだけど、
自分以外のキャラにも必ず中で動かしてる人がいて、その気持ちがある
まして自分自身が人間として生きている以上、人間関係のしがらみからは逃れられんよ。
有名な学者さん曰く、「人格」は「人間関係の上に形成されるもの」だそうだからね。
人と関わりたい、物語の中にいたいって「憧れ」が少なからずなけりゃ、そもそもあなたはネットゲームなんてやってたりしない。
もし苦手な事、つらいことがあったら、逃げてもいい。
FF14において人との関わりを忌避するなら、FCだのLSだのに入らなければいい。その選択は尊重される。
別に逃げることは恥ではない。休息して英気を養うための「モラトリアム」の時間も確かに必要。
そこは万人に認められるべきことで、認めなければ、脆い人を不意に自死へ追い込む事になるからね。それだけは避けなければならない。
でもいつまでも逃げ続ける事は出来ん。そこは忘れないで欲しい。いつか時限爆弾のように火を吹いて、ツケを支払わされるハメになるから、嫌ならそれまでに傷を癒やして精神的に自立する事。
・・・一人ではそれが難しいのなら、何か「拠り所」になる「信じられるもの」を見つけることだよ。
話が脱線したので元に戻すけど、今回の話は前提がおかしい。
先輩と引退した当人の間に物のやりとりがあったらしい、ってことは FCだのLSだの前提の話なんでしょ?
FCやLSの場で助け合おうとするってそんなに不自然なことか?
そういう場に入ってきて、「親切にされるのが鬱陶しい、イヤだから引退する」
「ああ、ウザい先輩が余計なことしたばかりに」って・・・何いってんのかさっぱりわからないわ。身勝手にも程がある。
要するにこの話、「お互い様」なんです。ヤマアラシのジレンマ、って話があるように、相手との距離のとり方に悩んでるのは、みんな同じなのよ。相手も不器用なんだよ、わかってやれよ。
自分の気持ちを理解してもらいたきゃ、他人の気持ちも理解しようとしなきゃおかしいだろ。そうでなきゃ、只のワガママな子供だ。
だいいち、意思表示せずに陰でウダウダ言うのは、相手を人間とみなしてない。
そこに思い至れないのは、人間として最低だと思うがね。「嫌われる勇気」でも読めばいい。
相手の状態を見て対応する、という意味での思いやりを持つ事は、確かに大事。
だが、事実の一面だけ切り取ってそれを「最初から何もやらなくていい理由」にしてはならない。
誰かが最初に種をまかなきゃ、何も育たないんだよ。
相手を知ろうと思ったら、まず好意を示す。それだけのことなのに。
コミュニケーションの基本さえ拒絶する感覚は、およそ「日本人」とはかけ離れてる。
しかもその動機が、何もしない事の自己正当化と欺瞞なのが透けて見える、、、信じられない愚劣さだ。
安易に流されない。「自分が何者であるか」だけは、忘れないでもらいたい。
私自身、無数の先輩方に助けられてきた。無味乾燥の「よろおつオンライン」に、この世界を染められてたまるものかよ。故にこそ、この空気に「反逆」する。誰かに凸るわけではないけどね。