漆黒5.3ラスト?の討滅戦が出たので、漆黒振り返り。約4.000文字のクソ長感想文。
注意:漆黒5.3辺りまでのネタバレが含まれますので、未履修の方はお気をつけ下さい。・結論
めっちゃ良かった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
漆黒の面白さはいくらハードルを上げても飛び越えられる、漆黒入りの際に頂いた言葉なのですがその通りでした。
なぜここまで惹きつけられたか、それは単純に続きが気になったからで、特に
水晶公の正体
オープニングの子供ミンフィリアとガンブレイカーサンクレッド
闇の使徒アシエン・エメトセルクとアルバートら闇の戦士たち
この3つの伏線が少しずつ解きほぐされ、そして語りのレベルでそれらが絡まり合り一本の線になる構造によるものだと思います。
記憶や経験、そして冒険。なぜ人類は物語を求めるのか、そんな大仰な問への一つ答えが漆黒のヴィランズの中で描かれていたように思えました。
漆黒のヴィランズのクエスト、『君を救う痛み』を覚えていらっしゃるでしょうか。マリカの大井戸をクリア後、ペンダント居住館にてアルバートとの会話後、水晶公が訪れてきます。
(大罪喰い討伐による後遺症に苦しむ主人公の容態を案じ、負担をかけすぎていると一人悔やむ姿も見れます。)
その後差し込まれる誰かの回想シーン、時間転移について考察していることから水晶公のものだと分かります。
そして、タイトル、HEAVENSWARD。これは蒼天のイシュガルドの英名で、右下に著者であるエドモン・ド・フォルタンの署名も。
蒼天はフォルタン伯爵の回顧録という体裁で、1000年に渡る龍詩戦争を集結させた英雄たちの冒険譚です。
そして、『消えること無き希望の唄』。
原初世界で第八霊災が発生、多くの犠牲者が出て秩序は崩壊。
絶望の淵で、それでも希望を捨てずに戦い続けた者たちが居ました。
名もなき彼らにより、第八霊災発生から200年、200年もの時間をかけてクリスタルタワーが再起動されます。
かつて、「人々にとって過ぎたる力であり、正しく使うだけの技術を今は持たない」ことを理由にクリスタルタワーを封印したシドが、未来のために残した時空転移の理論を用いて、
グ・ラハは第八霊災の原因である第一世界へとたった一人飛び込みます。
そして100年の歳月が流れ、漆黒のヴィランズの物語が始まります。
「なんと果てしない道のりか……。
そんな計画がここまで破綻せず進んできたのは奇跡に過ぎない。」ウリエンジェの指摘は真っ当なものでしょう。
グ・ラハは語ります。これは偶然ではない、これを可能にしたのは、英雄の冒険譚なのである、と。
「嘘みたいにまっすぐと、あの英雄は進んでいく。
その歩みは、語れば勇気に、聞けば希望になる物語として、
絶望の時代のそこかしこで輝いていた。」
もうここはボロ泣きでしたね。なんなら今も書きながら泣いてます。
特に刺さったのは、名もなき「キャラクター」たちが、何の見返りも得られないのにも関わらず、
200年の歳月、世代を超えて他人の幸せを願い行動したという点です。
そして、混沌とした世界で彼/彼女たちを結びつけたのが、英雄の冒険譚です。
語り継がれる物語、冒険譚。
文化芸術の価値とはなんでしょうか。市場に出回り消費される、つまり経済活動とも見做すことが可能な娯楽産業はともかくとして(もちろん経済的価値以外の側面もありますよね、14だってそうですし)、
なんで私達の実生活に関わりのない芸術なんてものに税金が注ぎ込まれるのか?なんて疑問をお持ちの方も多いかと思われます。
動物と人間を分かつものとして、所属する集団の違いが挙げられます。
群れを成す動物がおり、家族という単位で子育てをする動物も居ます。
一方で、人間は、家族と社会のどちらにも所属します。
それどころか、社会という大枠の中で、学校や職場、趣味仲間など複数の集団に所属することもあります。
異なる共同体を越境する中で、体験を他者に伝える必要性が生まれます。
狩りに出たら、でっかい獲物が居たんだ。
身振り手振りを用い、ときに誇張し、そして絵に描いて説明を試みる。
このようにして多様な表現が開発され、そして洗練化されていきます。
もしも、世代を超えて語り継がれるべきことがあったとして、その時に語り継ぐ手段が無いのなら、
私たちの人生は寿命に拘束されるものとなってしまいます。
もしも、死んでも遺り続けるものがあるとしたら。
だから、記録する(archive)ことは私たちにとって重要なことだと見做されているのです。
とはいえとはいえ、何でもかんでも人に伝え、そして託せば良いってわけではありません。
それが示唆されたのはサンクレッドのミンフィリア、そしてリーンに対する想いです。
忍者から、護るためにガンブレイカーへと転身したサンクレッド。
そして双剣を操るリーン。
光の巫女の物語も、ノルヴラントを覆い尽くす光の氾濫を食い止めうる希望の物語です。
しかし、幼子に戦闘技術を叩き込み戦陣に立たせ、英雄であると崇め奉ることを正しいことだと思わなかった人も居たでしょう。
「あの娘は、苦難の星のもとに生まれたのだ。苦しむぞ……これからも……。」
「 護っていくさ。……あいつが、それを望むかぎり。」
人々の希望であり続けるために、幼き光の巫女は光の代弁者のもとへと足を運びます。
世界を救うため、人々の希望に応えるために、役に立たなければならない。
そのためならば、自分が消えてしまっても構わない、そんな決意を抱きながら。
光の巫女は光の代弁者との邂逅を果たし、ミンフィリアに導かれる。
課せられた役割を全うするのではなく、リーンとして生きていくことを決断します。
「私はまだ未熟だけれど、許されるのなら、あの背中を追いかけてみたい。
無謀だとしても……届かないかもしれなくても……。
もらった想いを、力を、次の誰かに伝えられるようになりたい。
それが繋がって、繋がって……。
この世界でもいつかまた、多くの英雄たちが、果てない未来を目指すようになればいい。」子どもたちに役割があるのだとすれば、この先の未来を生きることでしょう。
語られ伝えられてきた英雄として生きるのではなく、それを語り伝えていく者として生きていく、
第八霊災の後にグ・ラハを送り出した名もなきキャラクターたちのように。
それがリーンの決断でした。
「おかえり、がんばったな。
……家族が無事に帰ってきたんだ。
おかえり以外に、掛けるべき言葉があるか?」サンクレッドの口からリーンの決断に関して直接語られることはありませんでした。
ミンフィリアへの想いも彼にとっては重要だからです。
しかしこのボロボロのガンブレードを見れば、リーンへの想いは分かるようにも思えます。
さて、闇の使徒と闇の戦士たちです。
かつて第一世界を旅し、人々を助けアシエンを討った英雄たち、それが闇の戦士たちです。
しかしその結果、世界には光が溢れ、光の氾濫により第一世界崩壊の原因を作った大罪人と名指されます。
アルバートとかつて共に旅をしたアマロ、セトから、光の氾濫の直後はアルバートたちをかばう者たちもたくさん居た、という話もありました。
彼らは確かに英雄ではあったが、この世界を危機に導いたのも彼らであった。
その後、アシエン・エリディプスの奸計により第一世界を救うために原初世界へと転生するのですが、第一世界にそれを知るものは居ない。
アシエン・エメトセルクは、敵でありながら主人公に何かを期待し、そして手を組もうと持ちかけてきます。
そして、キタンナ神影洞にて、ハイデリンもゾディアークも蛮神であること、そして、霊災を起こすことにより世界を統合し、自分たちの「世界」を取り戻すこと、それが目的であると語られました。
「なんだ、アシエンや古代人には、血も涙もないと思ったか?
心外だ、お前たちが持ち得る感情を、私たちが有していないわけがないだろう!
……普通にいたさ。
太古の昔、真なる世界に……家族も、友も、恋人だって。
いい世界だったんだ、穏やかで朗らかで……。
真なる人は頑強な魂を持ち、ほとんど永遠の時を生きられた。」「……なんて。言ったところで、思い出すわけもないか。」「忘れるな。お前は連中と違って、原初世界の住人……
統合される側ではなく、受け取る側の器だ。
すべての霊災を生き抜けば、私たちに近しい存在になり、満ちた世界で暮らすことができる。」統合されていない世界で生きる不完全な命たちを、「生きている」とは思わない。
大罪喰いを討伐し光を取り込んでいく英雄が、それに耐えることが出来たのならば、そんな主人公に対する期待は失望へと代わり、敵としてアーモロートにて主人公たちを待ち受けます。
「エメトセルク……君と私たちは、本質的に同じものを護ろうとしている。
君は、過去の友と、愛すべき者を。私たちは、今と未来にいる、友と愛すべき者を。
……そこに、違いなどありはしない。だからこそ、君にはわかるはずだ。」アルフィノのこの台詞は、プレイヤーが抱く感情を見事に代弁してくれていたように感じた方多いのではないでしょうか。
アシエン・エメトセルクの物語を知ってしまった今、彼のことを単なる敵だと思えなくなってしまいました。
そして最終決戦へ。
第一世界の統合を防ぐために召喚される光の戦士たち。
自分たちの「世界」を取り戻すために統合を企てるエメトセルク。
そして、守れなかった世界を今度こそ守ろうと、光の戦士の傍に立つ闇の戦士。
熱すぎやろ!!!!
5.3以降も、暁月も楽しみです。
そういえば、歴代トレイラー、プロモーションムービーに登場する視点キャラクターは闇の戦士一行とそっくりと指摘されていますね。
特に時代の終焉のトレイラーは良いですね。
https://www.youtube.com/watch?v=-6Plp-6TF5U光の戦士たちは、第七霊災を防ぐことが出来ずルイゾワの手により次元の狭間へと送り出されたんですよね。
僕はつい最近始めたばかりの新参なので、もっと以前からプレイされてきた方々の思い入れとは比べようもないのですが、
旧版から新生への移行という、物語の外部の出来事も物語と重なって見えたりもしたりするのかな。
今年の夏に始めて、本当に楽しませてもらってるので満足はしてるけど、
もっと前からやってりゃ良かったな~とかも思うけど、
でもでもそれじゃ今とは違う環境で今ほど楽しめないかもな~とかも思ったりしてます。
追記、リターントゥイヴァリースで、エメトセルクはエオルゼアでの仮初の姿だったソル帝として、文化育成に力を入れていたという話を思い出してまたウルっときた。