4-2
キャリッジはヤヤカのよく知っている場所へと向かった。
自分の実家だ。
ゴールデン・ビアストとやらの店に向かうのかと思っていたが、あちらがこちらに出向いているということだろう。
同席した使いの男はヤヤカが訝しむものだと思っていたらしく、淡々としたヤヤカの表情に舌打ちをしていた。
数年ぶりの帰宅だ。やはり、ヤヤカの予想通り荒れていた。前庭の木が伸び放題になり、庭園の草も雑草と混じった草叢と化している。
割れた石畳が悲しかった。
屋敷の門までの間に、何人もの見知らぬ男たちがいた。皆、使いの男と挨拶を交わしている。ビアストの部下なのだろう。周りを無視してヤヤカはどんどんと進む。自分の家だ。当然だろう。――だが、周囲の男たちがこちらを見てにやにやと笑っているのが気にくわない。
館の扉を、見知らぬお仕着せを着たフォレスターの女が開ける。これもビアストの部下なのだろうか。格好はメイドだが、どこか扇情的だ。これもちらりと見ただけで、無視をする。
まるで家そのものを乗っ取られたかのようだ。すでに、そういう話になっているのだろうか。
「おい……こっちだぜ」
かつて家族が集まる場所だった大部屋へ向かおうとしたヤヤカへ、使いの男が後ろから声をかけてくる。振り向くと、父の書斎のほうを指さしていた。無言で頷き、そちらへ向かう。
「ヤヤカ!」
「ヤヤカちゃん!」
書斎を開けたヤヤカは言葉がなかった。喜色満面の父と母が出迎えたからだ。済まなさそうでもほっとしたでもなく、自分が来たことですべての問題が解決したと言わんばかりの、手放しの喜び方だった。
「よく来たなヤヤカ! まあ座れ!」
父がソファを勧めてくるのを無視して、ヤヤカは単刀直入に訊いた。
「――いくらなの? 借金って」
「借金? ああそんなことか。それはもう解決した!」
高らかに宣言して笑うヌヌクカ。使いの男の話との落差に、ヤヤカは混乱する。
「ちょっと待って。大したことがなかったの? それとも――」
「私がすべて肩代わりすることになっています」
ヤヤカの背後、書斎の扉が開いた。張りのある壮年男性の声と共に、ローエンガルデの男が入室してきた。
「初めまして。ゴールデン・ビアストです」
一礼するビアスト。ルガディンらしいがっしりとした体躯は褐色で、その名の通り見事な金髪と好対照をなしていた。自信と余裕に溢れた笑み。
ビアストはヤヤカたちにソファを勧め、自分は部下らしい女性が運んできた紅茶を手ずから配った。物腰は慎重かつ丁寧。一見して、好人物に見える。――それだけに、ヤヤカの警戒心は強まった。シシフカに圧力をかけたのはこの男のはずなのだ。
「まずは、ヤヤカさんに謝罪したい」
開口一番そう切り出すと、ビアストは頭を下げた。
「部下が大変無礼な口をきいたそうで。あの男はアラミゴ難民で、最近私の部下になりました。仕事熱心なのですが、粗暴なところは中々治らず……。貴方の迎えは彼が自ら買って出たのですが、許可した現場担当者にはきつく言っておきました。
――大変失礼しました」
もう一度頭を下げる。立て板に水の説明は、あらかじめ用意されたものに見える。意図が今一つ掴めず、さりとてこだわるところでもないので、ヤヤカはビアストを止めた。
「気にしていません。――それより」
「はい、ご両親の借金のことですね」
朗らかに請け負うビアスト。
「約八千万ギルになります」
「は……!」
開いた口がふさがらなかった。金額の多さと、それだけの借金を作ってしまう両親の行状、その両方に。そして、それはヤヤカが到底返せる金額ではなかった。
「ああ、ご両親をお責めになられませんよう。お二人はむしろ被害者なのですよ」
ビアストはヤヤカをなだめるように言った。
彼が語るところによれば、両親はカジノに行き、そこで大負けしたのだという。しかもカジノを経営する者も両親に金を貸した者も質の悪い裏社会の住人であり、カジノの遊戯自体が客をはめるための、いわゆるイカサマをしているのだと、ビアストは言った。
両親の困窮を知り、ビアストは援助を申し出た。彼はかつて駆け出しの商人だったころにブライトリリー商会の貸店舗で店を構えており、何度も家賃を滞納して迷惑をかけていたそうだ。
「それから私もどうにか成功しました。あの頃何度も支払いを待ってくれた商会には――ヌヌクカさんには感謝の念しかありません。恩を返すのは今だ、と思いました」
照れくさそうに頭を掻くビアストに、ヌヌクカが呵々大笑する。確かに父は駆け出しの商人たちには甘かった。見どころのある若者には援助もしていた。商売敵大いに結構、切磋琢磨こそ商機を生む、というのがかつての父の矜持だったからだ。
しかし、今の父がそれを誇るのはおかしい。ヤヤカはこの茶番に耐え切れず、話を戻してください、と言った。
「や、失礼。高利貸しには私が話を付けます。この借金、私が肩代わりをしてもいいです。――代わりと言っては、なんですが」
――来た。
ヤヤカは歯を食いしばる。どんな無理難題を持ちかけてくるのか。
「大事なお話がございまして――」
「ヤヤカちゃん、この人と結婚して!」
ビアストの言葉を奪うように、キュキュナが満面の笑みで言った。
結婚。
「は……ぁあ!?」
心底驚いたヤヤカが叫ぶ。慌てたようにビアストが両手を広げ、ヤヤカをなだめようとする。
「お待ちを! 無論、形だけです」
恐縮した態のビアストが、まずは私の話を聞いてください、と告げる。それに渋々頷きながら、ヤヤカは両親を見た。全く嫌がっていない。――いや、違う。興味が無いのだ。この人たちは。わたしの結婚など。
背骨に棘が刺さったようだ。嫌悪感で身じろぎ一つできない。
そんなヤヤカの心など知らず、ビアストは語り始めていた。
私は新興の商人で、最近になってやっと成功しました。
ウルダハで今もっとも勢いのある商人であると、自負しています。
しかし、この先同じように成功できるかと言われれば、恥ずかしながら未知数です。
儲けを得たことによって、私の客層も広がってきました。いわゆる上流階級の人々を相手にするようになってきて、正直苦戦しています。
新参者の私には箔がない。
上流階級の人々は、彼らだけで通じる話し方をし、新参者には残酷なほどに冷たい。その一方で、誰かのつて、誰かの紹介、そういったものには鷹揚です。
私は今回、恩を返すためとお父上に援助を名乗り出て、僭越ながら友誼を得ました。
そこで、打ち解けたお父上は私に長年の悩みを語ってくださった。
お父上は困っていらっしゃった。貴方が上流階級の子女でありながら、研究に打ち込んでばかりで、後継ぎが不在である。ブライトリリーの家を存続させることが難しい、と。
そこで。
私は提案します。
――ヤヤカさん、私と結婚しませんか。
無論、私たちは種族が違う。私たちの間で子供は難しいでしょう。ですが、私が入り婿となり、さらに後々ララフェル族の者を養子に迎え入れることで家は存続できます。
私は一時の傭兵のようなものだとお考え下さい。
……正直に言います。私はこの家の格式に後押しされたい。
伝統あるブライトリリーに迎え入れられたことで、上流階級の人々も「話くらいは聞いてやるか」と思うでしょう。
その一歩が、新参者で流民出身の私ひとりでは超えられないのです。
私はこの家を、私の財力で復興させます。そして、夢を叶えます。
「……夢?」
ヤヤカの呟きに、ビアストは照れたように笑った。
「笑わないでくださいね。私は、砂蠍衆になりたいんですよ。おかしいですか?」
語る瞳は熱を帯びていた。
大胆で途方もない夢だが、一方で普遍的な夢でもあった。ウルダハで商売をしている者ならば、誰もが夢見る。それに。
「…………人の夢を笑うことはしないわ。絶対に」
そこだけは。
ビアストがどんな裏を秘めていようと、今の夢はおそらく本音だ。ならば、それに対してだけは敬意を払う。
「素晴らしい! さすがは夢とロマンを追い求めるかただ!」
ビアストは喜んだ。勢い込んでヤヤカに言う。
「その貴方の研究も、私が後押しできます。貴方は研究に打ち込んでください。ほんの少しだけ、式典やパーティのさわりにだけ出てくれればいい。
それで、今まで以上の資金を手にすることが出来るのです。
ご両親の借金は消え、貴方は研究に打ち込み、私は夢を掴む。――どうです? 素晴らしい協力体制ではないですか!」
一拍置いて、ビアストはゆっくりと、言い聞かせるように告げた。
「ヤヤカさん。お互い、夢を叶えましょう」
ヤヤカは。
答えられなかった。
この男の提案など毛ほども信じていない。
指摘したいことはいっぱいある。シシフカへの圧力の件も。だがそれは今ここで指摘できない。シシフカの店にこれ以上の迷惑をかけられない。
そして――借金。それもすべてこの男の差し金なのではないかと思ったが、証拠がなかった。
見捨ててしまえ、と心のどこかが言う。
両親など捨てて……
「ヤヤカ?」
「ヤヤカちゃん?」
「……もしかしてですが、心に決めた方がおいでで?」
両親など捨てて――テオドールを愛すればいい。
……ああ。
わかった。
やっとわかった。
やっと――自分の気持ちがわかった。
わたしはあの人を愛している。テオドール・ダルシアクを。
それを。
それをこんな――こんな場面で自覚するなんて。
「……いないわ。そんな暇も、なかったわよ」
自分でも驚くほど、普通の声が出た。表情にも、態度にも、声にも、心の動揺は表れなかった。
「では決まりじゃな!」
ヌヌクカが飛びあがって喜んだ。キュキュナも立ち上がり、二人は手を合わせて踊りだした。
「待って」
慌ててヤヤカは場の空気に逆らった。
どうにか、この場をやり過ごしたかった。反撃の糸口を掴みたかった。
「……あまりに突然すぎて混乱してるの。考えさせて」
ヤヤカの懇願に、ビアストは鷹揚に頷いた。
「分かりました。ごもっともです」
ビアストは笑った。穏やかに――けれども、その目は全く笑っていなかった。
「では一晩お待ちします。それくらいは借金取りどもを待たせておけるでしょう。今夜はここでお休みください」
こいつ……!
ヤヤカは息を呑んだ。
猶予など最初から与える気はないのだ。借金の取り立てを一晩「だけ」待ってやる、そう言っているのだ。
その後豪華な食事が出た。
ヤヤカは全く食べられなかった。
あてがわれたのは、自室だった。霊災後、家を飛び出して以来だ。
部屋は埃一つなく、綺麗に片付いていた。両親がやるとも思えないので、ビアストが部下にやらせたのだろうか。
真新しいシーツがかかったベッドに座る。
どうすればいいのか。
わからないまま、パールを手にした。テオドール。テオドールの声を聴きたい。もし、声が聴けたら、わたしは――
パールをつける。途端に、仲間たちの声が聴こえてきた。話をしている最中のようだ。
『ってえことは、お前今ウルダハじゃねえのか』
『ああ。イシュガルドにいる』
テオドール。テオドールの声だ。名を呼ぼうとして、けれど続くテオドールの言葉がヤヤカの口を塞いだ。
『緊急事態だ。すまないが、連絡も取れないかもしれない』
『お家の危機ですものね。わたしたちのことは気にせず、今はお姉さんの力になってあげてください』
『……すまない。そうさせてもらう』
『テオ』
『ん?』
『ヤヤカに一言』
パールを付けたことを、ノノノには気付かれていたようだ。
『ヤヤカさん?』
テオドールからの呼びかけに、ヤヤカは。
『テオ』
『はい』
『……がんばってね。でも無理しないで』
『分かりました。ああ――あなたの声が聞けて良かった。気合が入ります。では』
『うん。貴方にハルオーネの加護がありますように。テオドール・ダルシアク』
『ええ、貴方に知神サリャクの恵みがありますように。ヤヤカ・ヤカ』
沈黙が流れた。テオドールはパールを外したのだろう。仲間たちにおやすみなさいと告げて、ヤヤカもパールを外した。
涙は、静かに流れた。
いつまでも、いつまでも。
朝まで、ずっと。
声を上げず、ヤヤカは泣き続けていた。
(4章後編に続く)