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9-1

「出撃した？　馬鹿な、なぜ報告しなかった！」
　予想外の報告に、エレフテリオスは冷静さを失った。『“侵入者”の一人リリ・ミュトラが、信者たちの暮らすエリアから抜け出し、この夢幻宮へ向かっている』との報告はエレフテリオスも受け取っていた。
　ついにそのときがきたと、“切り札”の発動を準備していた矢先だった。
　ソフィアが、そのリリの迎撃に向かったという。
『それが』
　エレフテリオスの剣幕をある程度予想していたのか、報告してきた司祭は語気を強めた。
『聖母様からの勅命だったのです。我らにはどうすることもできません』
「聖母様の……！？」
　そうか。
　即座に、思い当たる節があった。
　リリだ。
　エレフテリオスが夢幻球の記録から、彼女に『超える力』があるだろうという予想を立てたのと同様、メリナ・コムヌスもまた、同じ結論に至ったのだろう。
　超える力。
　蛮神のテンパード化能力を防ぐことができるこの異能は、蛮神ソムヌスをその身に降ろしているメリナからすれば排除するべきものだ。
　ただの蛮神ならそうだろう。
　だが、彼女は女神ソムヌス。眠りを司り、人の魂を永遠の昏睡に誘う神。人の心を侵略する神だ。
　そして、リリの『超える力』は、心の戒めを解く力。ソムヌスにとって最悪の相性であると同時に、もしそれを己のモノとした場合には無敵の力を手にすることになる。
　“底”に眠るテンパードたちの祈り。
　夢幻球から供給される予定の、魔大戦で死んだ人々の魂。
　そこに、『超える力』をも有する現世の依り代を加えれば。
　ソムヌス以外の蛮神すらも、己の信者とすることができるかもしれない。
　すべての意志あるものが眠りについた世界。光に溢れた、停滞の世界。メリナの理想とする『真世界』の完成だ。
　『超える力』を持つものをどうやって支配するのか？　おそらく、強引に押し切る気なのだろう。夢幻球の力も手に入れた場合、それも可能かもしれない。ハイデリンの光の使途とはいえ、リリはただの人間なのだから。
　ソフィアは優秀な少女だし、このまま育てば当代一の使い手になることは間違いない。
　だからこそ、メリナは彼女を、地上におけるソムヌスの依り代にしようとしたのだ。
　だが、そこにリリが現れた。
　予想通りに『超える力』を発露し、洗脳を解いた。
　より優秀なほうを使う、ということなのだろう。
　あるいは。
　互いに喰い合わせ、残ったほうを“使う”つもりか。
『『徳義』様……？』
　司祭の訝し気な声に、我に返る。
「どのみち大きな戦いになるだろう。負傷者を治癒できる体制を整え、待機せよ」
『かしこまりました』
　通信を切ると、足早に部屋を出る。
　ソフィアの元へ向かわねばならない。もし、リリの力で洗脳が解かれた場合、彼女を支える者が必要だ。
「間に合ってくれ……！」
　エレフテリオスが足早に走り去ったあと。
　その部屋に収められているもの――夢幻球が、ゆっくりと回転を始めていた。

9-2

「くそッ！！　死ね！　みんな死ね！　狂い死ね！！」
　アステラが絶叫し、暴れる。
　オーディンに憑依されたバティストの元からアステラを救い出したマノスは、夢幻宮に帰還していた。幸いにして傷は目とその周囲だけであり、脳までは達していなかった。どうにか治癒を行い、眼球の修復も行うことができたのだが。
　この状態では、『聖隷眼』は使えない。
　いや。行使することはできるだろう。だが、それが彼女の肉体と精神に深刻なダメージを与えることは明白だった。
　使うべきではない。使わせるわけにはいかない。
　そして。
　目覚めたアステラは、その瞬間からこの状態だった。
　敗北感。劣等感。屈辱。憎悪。それらがないまぜになって、彼女に絶叫させている。
「アステラ様……！」
　マノスはベッドの上で、アステラを抱き締めている――というより、抑えつけている。
　そうしなければ、彼女は自傷行為をするからだ。床には、彼女が喉を突こうとしてマノスが叩き落したナイフが転がっている。
「もう、おやめください。休息が必要です」
　静かに、けれどきっぱりとマノスは諭した。
「……」
　叫ぶのをやめたアステラの血走った目が、じろりとマノスを見た。
「離して。キモい。あんたに抱かれるくらいなら、路地裏で慰み者になるほうがマシ」
　蔑みの言葉にも、マノスは眉一つ動かさない。
「なんと言われましても。休息する、と誓っていただかない限り、離しません」
「……」
　マノスが、アステラを見る。アステラも、マノスの顔から視線を動かさない。
「……じゃあ、いい。離さないで」
　アステラの左目が光った。
「――！」
　これまでで最も迅い『聖隷眼』の発動だった。先の、リリたちを出迎えたとき以上の術式速度。皮肉なことに、追い詰められ精神の安定を欠くたびに、『聖隷眼』はその精度と速度を上げていた。
　マノスに抵抗らしい抵抗を一切させず、アステラは目を見開き静止した副官に命じた。
「アタシの命令に絶対服従。アタシが敵としたものを討て。疑問を持つな。反論するな……！」
　言い切った直後、アステラは声にならない叫びをあげてベッドの上で体を反らせた。脳を直接叩かれるような激痛が走ったのだ。
「ぁッ――……！！」
　表情を無くし虚空を見つめたままのマノスが、アステラを抱きしめる腕に力を込める。
「……！　やめろ！」
　懸命に痛みをこらえて命じる。静止したマノスの腕の中から逃れると、アステラは震える膝を押さえながら床に立った。
「……ついてこい」
　マノスに命じてから、アステラは乱暴に隣室の扉を開けた。
　待機していた『戦隊（ペルタス）』の兵たちが一斉にアステラの方を向き――
「オマエたちも」
　『聖隷眼』が輝き、兵たちは静止した。
「アタシの命令に絶対服従。アタシが敵としたものを討て。疑問を持つな。反論するな。死ぬまで――死んでも戦え！」
　絶叫の直後、アステラは一瞬気を失った。倒れる体を、背後にいたマノスが支えた。彼に寄りかかり両肩を掴まれ支えられているお陰で倒れずに済んでいるのだが、彼女にはそれに気付く余裕がない。
　割れるように、頭が痛い。左目は真っ暗で、何も見えない。
　ぼたぼたと、血が床に滴った。
「……マノス……左、目を……治し……て」
　痛みの中で喘ぎながら命ずる。自分でそれをするにはあまりにも精神が乱れすぎていた。
「――」
　マノスが治癒魔法を唱える。どうにか視界は戻り痛みは和らいだが、『聖隷眼』は一切戻らなかった。
　二度と使えないかもしれない。本当なら、オーディンに刺された時点で喪われていてもおかしくなかった。
　それでもいい。それでも。アタシにはマノスが、『戦隊』がいる。
　こいつらを使ってめちゃくちゃにしてやる。
　リリも。エレフテリオスも！
　憎悪の炎が、アステラに活力を与えた。足に力が戻る。
「いくわ」
　宣言と同時に、マノスが肩を支えていた手を放した。支えられていたことに、今更ながら気が付く。
「……」
　この男に背を預け支えられるのは、嫌ではない。ふと、そう思った。
　だが、今更だ。
　本当に、今更だ。
　もう戻れない。この男の意志を奪ったのは自分だ。アステラ自身がやったことだ。
　『聖隷眼』が戻らないのだとしたら、彼は――『戦隊』の者たちも――死ぬまでこのままだ。
「アタシにはお似合いか。もう、この身には、この心には」
　憎悪しか、ないから。
　
9-3

　リリは、夢幻宮へと向かっていた。
　自分がソムヌスの支配から脱していることは、既に『純潔派』側には知られているらしい。道すがら、リリを捕えようと現れた司祭を倒した際に得た情報だ。気絶させた司祭からローブと仮面、聖七天の聖印、両手杖といった装備一式を拝借し、リリは司祭の振りをして夢幻宮へと向かう。
　司祭たちの挨拶などは、リリがアイ・ハヌムで学んだ礼法が通じた。そのため、夢幻宮が近づくにつれて増える司祭たちとも、問題なく挨拶をしてやり過ごすことができた。
　時間はあまりない。倒した司祭は縛って空き家に放り込んできたが、彼がいつ目を覚ますかがわからないからだ。ことが発覚すれば、通常の挨拶ではなく所属や姓名を名乗るように詰問されるだろう。
　切羽詰まった状況下であったが、彼女は少しだけ寄り道をした。
　探していた場所は容易に見つかった。そこでの“仕込み”を終えると、リリは夢幻宮の正門にたどり着いた。巨大な城壁の出入り口であるそこは開け放たれ、警備の者もいない。もっとも、この奥のにそびえる宮殿そのものの扉ではこうはいかないだろう。
　ここには聖母メリナと幹部たちの住まう宮殿以外に、白魔道士を育てる学園がある。――そう、アイ・ハヌム学園そのものがここにあるのだ。
　書き換えられていた記憶の中では、自分はこの学園の出身者で、ラヤ・オ・センナもここの教師、ということになっていた。
「学園側の警備は厳しくないはず……早くラヤ・オ様を見つけないと」
　リリが呟いたとき。
「あたしを探しているの？」
　聞き慣れた声が、厳しさを有してリリの足を縫い留めた。
「ラヤ・オ様……！」
　そこに、ラヤ・オ・センナが立っていた。厳しい目でこちらを睨んでいる。当然、まだ認識を書き換えられたままだ。それで気が付いたが、どうやら自分の『超える力』は、対象がテンパードのように魂を灼かれていたり、精神を侵略されていたりすることを察知できるようだ。
「仮面を取りなさい。リリ・ミュトラ」
「……はい」
　司祭の仮面を外しながら、リリはどうやってラヤ・オに近付こうか思案していた。『超える力』はまだ上手く扱えない。バティストにそうしたように、触れるほどの距離でなければ効果が出ない。
「白魔道士の位を捨てた者は、許可なく夢幻宮に近付いてはならない。こんなこと子供でも知っているわよ。どうして司祭を襲ったりしたの」
「それは……」
　言いながら前へ出る。ラヤ・オはあくまでもアイ・ハヌム学園の講師として、元教え子である自分へ理由を問うている。このまま近付ければ。
「動かないで」
　リリの喉元へ、ラヤ・オの両手杖が突きつけられた。
「――聖母様とアステラの術を解いたのね。さすが『超える力』といったところかしら」
「えっ……！？」　
　リリは驚愕に目を見開く。それを知っていては、書き換えられた『配役』が成り立たなくなる。だが、自分の書き換えられた記憶の中では、ラヤ・オは確かにアイ・ハヌム学園の講師だったはずだ。そして、『超える力』はラヤ・オが書き換えられている者だと示している。
　それは、つまり。
「あなたたちがこの世界へ来たとき」
　ラヤ・オが険しい顔のまま言う。
「メリナ様――女神ソムヌスの力によって調伏されたあのとき。あの場であなたたちの助命を嘆願したのは、やはり甘い判断だったかしら」
　そうか。
　今の言葉で、ラヤ・オへの再書き換えがどうなされたのかが分かった。
　『純潔派』の人間として、アステラやエレフテリオスと同じようにこの世界にいたことにされている。あの場でソムヌスと対峙したリリやバティストたちの中からラヤ・オの存在を消して、あの場で『純潔派』側としてそれを見ていたことにされたのか。
「……ラヤ・オ様」
「様呼ばわりはいささか大仰な気がするけど。なに？」
「いいえ。大仰ではありませんよ。あなたは黒衣森の角尊。グリダニアの三重の幻術皇」
　もし。
　自分の予想が当たっているとしたら。
　短期間で何度も認識を書き換えられることは、魂を著しく損傷させるはずだ。そしてこの書き換えは、おそらくラヤ・オをリリへぶつける戦力へ改変するためのモノだ。
　自責の念と同時に、怒りが沸く。人の魂は、記憶は、認識は、こんなふうに気軽に改変していいものではない。
　この一点を以て、リリは『真世界』を否定する。
「意味が分からな」
「必ず！」
　ラヤ・オの言葉を途中で遮り、リリは叫んだ。
「必ず元に戻します。力づくでも！」
　言いながら距離を取り、杖を構える。
「……力づく、ね。このあたし相手に、いい度胸だわね」
　ラヤ・オの周囲に、ボムほどの大きさの白光が六つ出現した。同時に、その白光から無数の小さな白光がいくつも湧いて出る。それが、すべてグレアだと気付いてリリは戦慄した。
「後悔先に立たず。吐いた唾は飲めないわよ」
　白光がラヤ・オの周囲を舞う。
「わかっています」
　声が震える。けれど、もう後戻りはできない。やるしかない。
「そう。じゃあ、問答無用ね」
「――はい」
　数瞬の沈黙と静寂。それから、両者は同時に詠唱を開始した。
「「サンクティファイド・グレア！！」」
　無数の白光が両者の間を駆け抜ける。それぞれが軽減魔法や魔法障壁を展開しつつ、互いに駆け抜けながら発光を撃ち続ける。
「くっ……！」
　だが、総量が段違いだ。どんな小細工も圧倒する火力密度。今のラヤ・オを制するのは、『四善』といえども難しいだろう。
　ならば。
　こちらもある意味正攻法で行くしかない。
　魔法結界と継続回復を行使して攻撃をしのぎつつ、リリは魔法陣を展開した。ここへ来る途中で仕込んでいた奥の手。
「心核起動確認。エーテルリンク正常。――ブリトルマティス、起動！！」
　魔法陣から、一陣の風のようにそれは飛び出し、地に降り立った。
　人型の魔道石像。リリによく似た少女の造形をしたそれは、装甲を極力削った軽量タイプだ。だが、動きの滑らかさは魔道石像の域を超えていた。胸の中央から背を貫くように設置された大型のクリスタル。体の各所にもクリスタルを備え、エーテル放出の出力を向上させている。
　かつてアイ・ハヌムでリリが創った小型の魔道石像と同じ名を持つそれは、ラヤ・オも一瞬手を止めるほどの出来栄えだった。
「『地の盾』！」
　リリの指示と同時に、ブリトルマティスは地面を思い切り踏みつけた。そこを起点として隆起した地面が巨大な盾となり、ラヤ・オのグレア群を受け止めた。
「そんなもので！！」
　叫んだラヤ・オがさらに回転数を上げる。六つの白光から打ち出されるグレアの光弾がまさに弾雨となって岩の壁を襲う。薄い木の板が弾丸で穴だらけになるがごとく、岩の壁は瞬く間にぐずぐずになっていく。
　その壁から、魔動石像が躍り出た。そのまま一直線にラヤ・オめがけて突進する。
「甘い！！」
　壁へ白光弾を射出していた大型の白光の三つがブリトルマティスを狙う。さらに、岩の壁を撃ち抜いても残存したグレアの白光は弧を描いて旋回し、ブリトルマティスを背後から襲った。
　一斉に襲い掛かる光弾。
　だが。
「『トランス』！！」
　リリの叫びに応え、ブリトルマティスの体に埋め込まれたクリスタルが赤く発光する。圧縮貯蔵したエーテルを一気に解放したオーバーロード状態。通常の数十倍もの機動力を手に入れるが、稼働時間に限界がある。加えて、その操作は困難を極める。暴走寸前の魔力を押さえつける胆力と、精緻極まりない姿勢制御を両立させなければならない。
　赤く輝くブリトルマティスが、瞬間的にラヤ・オの視界から掻き消える。追尾する光弾たちさえ置き去りにして、少女の姿をした魔法人形は一気にラヤ・オへと肉薄する。
「こいつ……ッ！」
　慌てて下がるラヤ・オ。その隙に、リリがサンクティファイド・グレアの光弾を大型の白光へと集中させた。一個が撃ち抜かれ、消滅する。　　
「調子に――乗るなァッ！！」
　ラヤ・オが絶叫と共に、魔法を立て続けに二つ撃った。一つは詠唱時間の極度に短いサンクティファイド・エアロ。これはリリに撃ち込まれ、リリは避けられずに吹き飛ばされた。
　そしてもう一つは迅速魔で詠唱破棄したサンクティファイド・ホーリー。ラヤ・オを中心に放たれた強力な破壊光が、ラヤ・オの腕を掴んだ瞬間のブリトルマティスを破壊しながら弾き飛ばした。
「いい手だけど、詰めが甘いわ」
　ホーリーの詠唱後、地に降り立ったラヤ・オが言い放った。その腕に残ったままの、ブリトルマティスの千切れた腕をはがそうとする。
　その、直後。
「いいえ」
　ラヤ・オの腕を掴んだリリが言った。
「詰みです」
　ブリトルマティスの腕は、遥か後方にある。直前まで、リリがいた場所に。
　魔道石像の腕に仕込んだ特殊なエーテライトは、交感した操縦者と互いの場所を交換するように転移を行う。だが、この魔法の起動には瞬間的に大量の魔力を必要とする。『トランス』は、このための発動でもあったのだ。
　驚愕したラヤ・オが魔法を行使するよりも早く。
　光の煌めきが、リリの胸から放たれた。
「あ……！」
　くずおれるラヤ・オを抱き留めて、リリは目を閉じる。
　心を澄ませ、ラヤ・オの魂の鼓動を感じる。――無事だ。そもそもが強靭かつしなやかな魂の持ち主であり、そのうえで、加護の存在を感じる。森の精霊、それから、リリとは別の光の加護だ。
　どれくらいそうしていたろうか。
　ややあって、ラヤ・オが深く息を吐いた。
「……ありがと、リリ」
　ぎゅっと抱き締め返される。
「どういたしまして。ほんとに、無事でよかったです」
　互いに抱擁を解く。ラヤ・オが落ちていた杖を拾い上げた。
「ああ、ひどい目にあった。こんなのは二度と御免だわ」
「同感です。こんな、人を道具としてしか扱わない世界が『真世界』だなんて、一切同意できません」
　頷いたラヤ・オが、視線を後方へ流した。
「だ、そうだけど。姫様としては、どう弁明するのかしら？」
　向き直るリリとラヤ・オの視線の先に。
　腰に手を当ててこちらを見つめるソフィアと、彼女の軍勢がいた。

『Sweetest Coma Again』９（２）へ続く