(長くて割と真面目な話になります)
忠告というのはよほど「親しい仲であっても」なかなか聞き入れられないものです。
銀英伝のラインハルトみたいな人物でもキルヒアイスやオーベルシュタインの忠告を聞き入れるのは「ギリギリ」であったし失敗もあったはずです。
「忠告を受け入れる事を他人に求める」ならば「自分で身を持って示すべき」じゃないでしょうか?
歴史上の偉人や君子人ですらも「ほとんどできていない」ような事を自分ができるかどうか?そんな自分が他人にそれを要求する資格があるかどうか?疑問に思わざるを得ない話。
以後、よっぽど信頼関係にある相手「にも」私は「忠告・指摘・批判」をしなくなりました。
そういったものは「気づかせ」「フォロー」という形までで意図的に止めています。
どうしても言わないといけない場合は「相手と戦う覚悟」で言うしかありません。(相手との信頼は修復不可能になる恐れが強い)
(ここ重要)まして情が絡んでいる間柄なら尚更「正論は危険」・・・「情緒を損なわないような言い方をしないと聞いてもらえません」・・・「スルーされたらそれ以上言ってはいけない」と私は経験から結論しています。
銀英伝のラインハルトですら親友の忠告を「お説教はたくさんんだ!」という言い方しかできなかったのだから・・・(愛情が絡むと余計にそうなってしまうもの)
(水を差す)批判や指摘をされて不興を感じると「忌避されて左遷してしまう」・・・これが普通の人の限界だと思うのです。
夫婦なら尚更「余計なことを言うと身の危険がある」からその手の話は「ほぼタブー」
だからこじれない関係を保つには「交渉」「棲み分け」だけしか残りません。
SNS等で繰り広げられている論争の本質は「目玉焼きに塩かソースかしょうゆか」みたいな論争と同じです。話した所で分かり会えるはずもなく残るのは修復不可能な感情的な傷だけ・・・。
与野党の対立軸から議論の幅を広げる事を求めていたはずのアメリカはその結果トランプ独裁しか残りませんでした。
汎人類的に・・・対立軸を基本とした議論は「成立しない」と結論して良い時期ではないでしょうか。
対立軸を前提とした議論の膠着・ねじれから生まれたものは「力こそすべて」という論理であり結果的に独裁をもたらした・・・歴史にそう書かれる気がしています。
私はかなり親しい仲でも他人の批判や忠告をしません。指摘すら避けて「気づかい」「フォロー」で止めています。
それは誰よりも自分の為にそうしているだけです。
ちょっと長くて申し訳ないけど・・・忠告や批判や意見をしているうちに相手を暴君に育てるという例を世の中でけっこう見てきたので「イタいなぁ」と思ったので自分の考えを書いてみました。
これも「参考に」という程度で「意図的に止めています」(苦笑)
もちろん誠実を貫いて相手の為に正論を言う事は「立派」だとは思いますが・・・苦い経験を積むことで直言のようなものは言わなくなりました(草)
自分がズルいだけかも知れないけど「リアルでもネットでも誰とも対立軸を張っていません」
するすると対立の隙間を抜けてちゃっかり生き残る・・・みたいな生き方をするようになりました(笑)
ふっかけられても「ぬるっと逃げてます」w