Character

　僕って童貞なんですけど、宮迫が闇営業をしているなんて思ってもみなかった昔、「アメトーーク」という番組で、おなかピーピー芸人、略して「OPP芸人」という回があった。これは、お腹の弱い芸人たちがそのあるあるを言ったりしていたのだが、僕にとってはもはや「面白い」というよりも「共感」の面の方が大きかった。

　お腹が弱い。これは現代人にとって手痛いステータスだ。

　たとえば、賞味期限の切れたものを食べたらお腹を壊した、或いはとてつもなく辛いものを食べたらお腹を壊した、またはテレビでしずかちゃんの入浴シーンが流れて怒りでお腹を壊した。これはある程度仕方ないと思うし、自分が悪いと割り切ることができる。
　でも、心因性の場合はどうしようもない。僕の場合、緊張したときとか、新しい環境になったとき、すぐお腹が痛くなってしまう。
　ここで腹が立つのが、自分で自分を苦しめているということだ。まさに被害者と加害者が同居している。何か悪の組織みたいなのがあって、そいつらが僕のお腹を凌辱しているなら、まだ「くそー、悪の組織め！　チャージーン、ゴー！」と正義感に燃えることができるのだけど、自分の精神の弱さが原因で自分を痛めているものだから、怒りのやり場がない。高校の部活でも、大会のたびに緊張してお腹が痛くなる。元々の能力の低さに加え、腹痛デバフが加わるもんだから、成績なんて残せず、後輩からもたぶん尊敬されてなかった。引退するときに後輩から色紙もらえるじゃん、皆はソウル溢れるメッセージでぎっしりだったのに、僕は「ありがとうございました　吉井」みたいな淡白な文字しかなかった。ほとんど名前くらいしか情報がなく、からかさ連判状みたいになってた。

　この前も、外出中に唐突に腹が痛くなってきてしまい、仕方なく商業施設のトイレを利用することに。自宅以外で用を足すのは苦手なんだけど、緊急事態だからやむを得ない。
　トイレの標識を探す、前方3ヤードに厠を確認、入室、個室は3つあり、その全てが空いていることが確認できた。安心だ。こういうとき、個室が全て埋まっているというのが一つのお約束だが、電車が1時間に1本しか来なくて、7時代に運行する電車のことを「7時電」とか言ったりする田舎のトイレはがら空きだった。
　しかし、人間とは不思議なもので、さっきまではまあまあ余裕のあった肛門括約筋事情であったが、「もううんこができる、誰からも束縛されない、この支配からの卒業」と安心したそばから、急に頭をもたげだした。一刻を争う事態の僕は、迷うことなく手前の個室にブースインした。その瞬間最大風速はアンジャッシュ渡部が会見から退室するときのスピードをも凌駕していた。そして押っ取り刀でズボンを脱ぐ、というか、もう入る前に下を脱ぎ始めていた。スーパーマンが変身するときみたいになってた。たまたま誰もいなかったからよかったけど、この次第を女子高生とかに見られてたら終わってたなって思った。完全に馬鹿だ。男子トイレに女がいるはずがない。

　どうにか便の発車時刻に間に合った僕、でもよく見ると、便器の中にそれは鎮座しておられた。
　前の人、うんこ流してねえ。

　世の中には色んな人がいる。国語の得意な人、数学の得意な人、運動のできる人、できない人、楽器ケースに隠れて国外逃亡を謀る人、色々いる。
　それは、それぞれが個性であり、尊重されるべきものだと思う。でも、唯一許せないものがある。うんこを流さない奴だ。
　僕の記憶が確かならば、僕は生まれてこの方、うんこを流し忘れたことがない。もう、うんこをする、拭く、流すまでが一連の動作だ。
　しかしながら、世は進歩し、人類は月に行き、自動で水を流す便器が誕生した。恐らく、流し忘れた人は、これに慣れすぎて、もはや流すという一コマを亡くしてしまったんだろう。あり得ない。個人的には、僕は自動で水の流れるトイレを便利だとは全く思わない。むしろ、最後に「流す」という作業をさせてくれないと、違和感を覚える。自分のものは自分で処理したい。家に帰るまでが遠足、だったら、流すまでがうんこだろう？　流すのを忘れるなんて、セックスでいえば後戯をしないのと同じだ。前戯に励む男性は多かろう、でも後戯を疎かにするなんて最低の野郎だ。自分が射精してはい終わり、なのか。じゃあ何か、前戯のときの優しさは、私のためじゃなくて、結局は自分が気持ち良くなりたいがためだけの行為だったの？　許せないわ。男として許せない。ちなみに俺は童貞だ。

　しかし、今そんなことを嘆いてもどうしようもない。今、ここにうんこがあるのだ。その事実は変わらない。これがモンティ・ホール問題だったら、最初から正解の扉を開けてしまったようなものだ。いや、これは正解なのか？　まあいいや。素人ならば、うわー気持ち悪いと隣の個室にモードチェンジするだろうが、僕くらいのレベルになると動じない。ああ、流し忘れたのね、と、レバーの「大」の方へ捻るだけだ。そして、この目の前の玉座が綺麗になるのを待つだけ。たった数秒だ、僕の中の不肖はもう出かかっている、早く、早く三途の川を渡れ、そう願っていたのだが、その現物は全くそこを動こうとしなかった。いや、むしろ、徐々に水かさを増しているではないか。茶色い竜巻がだんだん上っていき、今あふれようとする、やんぬるかな、でも僕は逃げなかった。いや、逃げられなかった。この顛末を見届けないといけないという啓示を受けた気がした。ああ、水面はもうそこまできている、頼む、このまま何事もなく消えてくれ、Rin、目をふさいで、南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの厠の水面下げさせてたばせたまへ。と心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、便器も元の水かさになりかへりにぞなつたりける。

　なんとかメルトダウンは起きずに済んだものの、うんこと若干の紙は、そのまま御社にいらっしゃった。そのときにやっと分かった、このうんこは、流さなかったのではない、流れなかったのだと。このブツの親の顔が見てみたい。この個室はもう、立入禁止区域だ。


　この事件のように、腹痛は突然やってくる。みんなに分かってほしいのは、トイレに何度も行く人を色眼鏡で見ないでほしい、ということ。世の潮流は、LGBTなんたらとか、多様性を貴ぶ時代になってきている。だったら、お腹が弱い人のことも、馬鹿にしたり見下したりしないでください。




　あと、童貞の人のことも、同じように色眼鏡で見ないでください。仕方がないことなので。え、それはできない？　童貞は滅びるべきだって？　そんな論、めちゃくちゃだろ。片腹痛いわ。