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Rakko Taso

The Shadow

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闇の戦士の哲学的考察 ―蒼天のイシュガルドのテーマ性―

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蒼天のイシュガルドを終え、やっとこさ紅蓮編に入ったところです。

メインクエストもお腹いっぱいなので、当面は風脈解放の旅とジョブクエでしょうか。


さて、本題の闇の戦士についてですが、メインストーリーでは、そのメッセージ性が極めて抽象的な「示唆」にとどまっており、具体化して何かを共時的に語ることは困難と云えます。※注1 しかし、物語としての「テーマ性」は抽象性が高いとはいえ、優等生らしくも古典的(クラシック)なストーリーの技法は守り抜いた、といったところでしょうか。


闇の戦士の「光からの転落」はさまざまに解釈可能ですが(抽象度が高いので無論のこと)、闇の戦士たちがそもそも幽霊だった、というシックスセンス的オチは古典を踏襲していると云えます。

設定としては異世界からの到来者として描かれていますし、闇の戦士の内在する悲劇性は、鏡像的に過去と現在から原初世界を演繹可能な推論的テーマ(光による破滅)へと導いています。

闇の戦士たちからは、第一世界と原初世界のパラレル性という存在しない未来だが、存在しえる可能性としては否めない世界が運命の歯車的ギャンブル(偶然)性として示されます。

そして英雄という曖昧な観念への後悔と絶望、闇の「意志」の志向および統合が語られます。英雄に係る絶望的なスタンスは fate/zero の衛宮切嗣を彷彿とさせます。


まず、闇の戦士たちの ①根底に意志を据えるところは cogito, ergo sum の超越論的観念論です。※注2

それから②英雄という幻想的なシンボルが、個のあらん限りの意思を搾取し、主体性を疎外するに至るという逆説性※注3 からの悲劇が、

③自由に存在する実存的自己、の必要性へと展開されます。※注4


闇の戦士の内省は、英雄という幻≒亡霊(ガイスト)が人間個人の意志の剥奪に至ることの愚劣さを悲劇的に描いており、「英雄という概念の抱くファシズム性」をつよく批判しています。※注5


模範的なプレーヤーの諸君は漫然とゲームを楽しみながら、「英雄殿」と叱咤激励されつつボランティア的サービスを施し、対価としての名誉や感謝で承認欲求が満たされ、さぞかし気持ちがよかったことでしょう。ですから、闇の戦士のメッセージ性である「英雄であることの悲劇」は、経験として意識に希薄なモノとして投射された事かもしれません。


しかし、その英雄という幽霊(ガイスト)が、自己の意志を抑圧してまで、自律的なロボットとして、ひとり歩きしはじめたら、人間の意志は一体何処へ行くのか、よくよく考えてみては如何でしょうか?※注6


闇の戦士たちは、国家が大衆の精神を水路づけ、「人間としてあるべき姿」として「光の戦士」を誘蛾灯に幻影化(ミラージュプリズム)している事を論難します。

心理のポジティブ性という本来、人間のこころの一面的であったに過ぎない感情を、全体化してコントロールしようとするイデオロギーに対するエゴイズム的批判が展開されます。※7


こうした議論はわが国の臨床心理士の国家資格化をめぐる論争にも学術界では歴史的に持ち上がったことであり、

国家が国民の感情を水路づけ、利用することのイデオロギー的な概念統治への批判から、臨床心理士が民間資格として留まった経緯があります(ただし、その後の大衆政治的動向として公認心理師として別枠で国家資格が誕生した問題性について、ここでは割愛します)。

心理学という概念が、何らかの目的を持った、人間によるツールの枠組みを超え、真理のツラをして自己啓発セミナーとなることのリスキーさは、哲学や社会学の分野から歴史的に時代性を超えて激しく糾弾され続けた次第です。

あるべき理想像(亡霊)に乗っ取られ、意思を失ってしまった洗脳されたテンパードと化した人間像、その光の生み出す悲劇性には、闇の戦士たちのエゴイズムの嘆きが伴っています。


現代の大衆による心理学の活用法は、もはや医学的に治療する枠組みを超え、政治的に統治された主体と化しています。※注8

発達障害という概念の台頭が代表的ですが、ひとの在るべき理想像を批判のツールとして先鋭化し、こころを微に入り細に入って、大衆が自己批判と他者批判を連綿と繰り広げています。

そのような金太郎飴的光の世界は、却ってひとの日常を暗い影で蝕み、新時代の「生きづらさ」の様なものが社会病理として出現し出し、

ネットの匿名文化における炎上騒動に代表されるように、コロナ患者叩きのように、はみ出しモノを下衆蒙昧な大衆が、木っ端微塵になるまで石を投げつけ粉砕する、といった悪業に表立った弊害が剥き出しの悪意として露見しています。


光で充満した世界は弁証法的にナチスドイツの全体主義を生み出します。ひとびとが善を志向するあまり、抑圧した闇が反動として覆いかぶさるからです。※注9


それでは、闇の戦士の反省から、わたしたちが真に必要とすることは何だと考えますか? 


それは光と闇という二項対立的認識に囚われないひとの意志や真理に対する矛盾の統合的理解であり、※注10

洗脳された傀儡に過ぎない野蛮な獣群から浅ましい心理学を捨象して原点な超越論的観念論(独我)への学的知性として回帰が求められ、※注11

国家イデオロギー批判としての浮遊する知識人の表象※12 の示唆が、蒼天のイシュガルドにおける争点になっていることは、納得的に解釈できる事柄ではないでしょうか。




※注1 ソシュールによる記号の普遍性
※注2 デカルトの感覚を内包する自己基底としての意志
※注3 マルクスの主体性の疎外論 資本制の自律運動による物象化の帰結としての非人間化
※注4 ボードレール、『悪の華』に代表される神への謀反
※注5 シュティルナー『唯一者とその所有』におけるイデオロギーの概念性としての亡霊という批判
※注6 ウェーバーの官僚制における目的と手段の反転性
※注7 ミシェルフーコー、『臨床医学の誕生』における病理の生権力
※注8 『監獄の誕生』における従順な主体
※注9 アドルノ、『啓蒙の弁証法』における理性国家の弁証法的野蛮への展開
※注10 ニーチェ、『善悪の彼岸』
※注11 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
※注12 マンハイム、『イデオロギーとユートピア』における左翼的知識人像
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