■汝は人狼なりや?
――というゲームがある。
ジャンルはRPG、役割を演じるという意味でのロールプレイイングゲームである。
参加者は10名前後。ランダムに配られる「配役」を全うする努力をしていく。
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「村人」たちの住まう村に「人狼」が紛れ込んだ。
村人たち唯一の希望は、一日一回一人だけ、占いで人か狼かを見分けることの出来る「占い師」だけだ。
村人たちは占い師の言葉や、それぞれの挙動を頼りに、
狼を見つけ出して多数決で処刑しようと考え付く……といった設定だ。
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人狼という配役は、夜な夜な人を殺害し、そして自分が殺したことがばれぬよう、嘘をつく。
占い師は一夜ごとに一人ずつ占い、対象が狼かそうでないかを見抜き、告発する――自分こそが占い師だと騙る、狼を相手取って。
そして村人の配役を得たものは、
あらゆる分析と議論を重ねて、確実に狼の嘘を見抜いて処刑していかねばならない。
狼を完全に駆逐するか、あるいは全部食い殺されるまでこのゲームは続く。
私はこのゲームが大得意だ。
大得意すぎて、「味方でも敵でも怖いから吊っとこう☆」で初日に吊られるようになった。
自分自身の強さを分析したことがある。
頭の回転が速く、誰かの論旨の欠陥をすぐに暴き立てられるから……というわけではない。
息を吸うように嘘をつける、というわけでもない。
私はこのゲームが「討論のゲームだ」と理解していたから強かったのだ。
討論や議論と聞いて、口喧嘩を思い浮かべてしまうのは間違いである。
そして「より建設的な意見を持ち寄り、互いに妥協点を見出すためのもの」という考え方も、
不正解ではないが甘っちょろいと断言できる。
討論や議論とは、対立する意見者をやり込める舌鋒の強さを競うのではない。
傍観者、第三者に向けて、
どちらの意見が正しいか(強いか)を判断してもらうための演説やパフォーマンスに過ぎない。
例えば貴方がフォーラムに、要望や意見を載せたとする。
そうすると、運悪く――貴方の論理を曲解したり、
知らない知識を持ち出したり、
たとえ話に足をすくわれたりといったことが起きたとする。
貴方の論理、意見は全否定されたので、
貴方は腹を立てて言葉を返す。
相手を屈服させられるような、間違いの無い論理性を捜し求めて。
前述のとおりこれは誤りである。
スルー推奨というのも情けない。
自分の論理にケチをつけられたなら、
そして自分の正しさに自信があるなら、
真っ向から受けてたつべきだ。
問題は、喧嘩の相手が違うという点である。
Aという貴方の主張に対し、Bという対立論陣が張られた。
貴方はAが指し示す本質を見失わぬように、
時折Bの本質を見極め、論理の破綻を探す。
そしてB以上に論理的で正当性のある言葉を、
B以上に紳士的で誠実な物腰で「第三者」にアピールするのだ。
口喧嘩に堕してしまえば、
「吐いたほうにマイナスイメージが付く」という一点において、
貴方にとって完全にマイナスなのである。
実際、これは苦言だが、
演説が得意なはずの政治家ですら討論と口喧嘩の意味を履き違えている節がある。
まるで黙ったら敗北であるといわんばかりに、
相手の声を遮って大声で喋りだす。
人の意見は聞きません、とアピールすることに、
政治家として一体どんなメリットがあるのだろうかと思うことしきりである。
討論のルールにおいて、相手の主張は最後まで聞くというルールがある。
聞き、そして即座に吟味して穴を付くのが最良のパフォーマンスなのだ。
こうしろ、フォーラムに討論を持ち込め……というわけではなく、
もし対立論陣が張られた場合は以上のことに気をつけると、
より実りの良い返事が返せるかもしれない。
長くなってしまったが、
判りやすく伝える技術というのは、
判りやすく伝えようとする姿勢ということも出来る。
是非、「おい吉田!」と題して、
皆さんが本質的に望むFF14の形をフォーラムで展開していただければと思う。
彼らが読んでくれることを信じて。
註釈
ひとつだけ上記の「判りやすく伝える技術」が適用されない場面がある。
女性の話を聞くとき、である。
そもそも彼女たちは、我々からの効率的で明快なご説明は一切望んでいない。
討論ではないし――ましてや口喧嘩でもない。
我々に出来ることは、ただひたすら頷いて(相槌は大事である。たとえチャットにおいても)
そして彼女の主張を(出来る限り……人道的に許される限り)肯定してあげなければいけない。
偏見だ、と思うかもしれない。
確かに偏見かもしれない。
しかし、多くの場合において、
それは偏見ではないことが殆どだったりする。
気をつけられたし。